【目白研心 野球部】「価値」 #目白研心

2009年の共学化で野球部創部
創部13年、選手が築いた「価値」

2009年の男女共学化によって野球部が誕生した目白研心。2018年秋には日大三を破ってブレイク。創部13年目、チームが目指すべき方向がはっきりと見えてきた。

■2009年に部員2人でスタート

新宿区中落合にある目白研心。2009年にそれまでの女子校・目白学園が「目白研心」となり男女共学化。それに伴い、野球部が誕生した。最初の部員は1年生2人。チームを任されたのは、その年に着任した鈴木淳史監督。強豪・新潟明訓出身で、高校2年時に甲子園に出場しホームランをかっ飛ばした。中央大卒業後、日本航空高(山梨)でコーチを務めたあとに縁あって目白研心へやってきた。鈴木監督は2人の部員と共に練習に励み、彼らが3年生になった2011年に、助っ人部員を借りて東東京大会に初エントリー。2人の部員の努力をみていた生徒、教員たちが応援団を結成し、初陣へ挑んだ。大敗だったが、「最高の試合だった」(鈴木監督)という。創部から13年、いまは1学年約20人の部員たちに恵まれているが、一期生2人の情熱が目白研心の原点だ。

■2018年秋に日大三を撃破

2018年秋1回戦で日大三から「金星」を挙げたことが学校名を広める結果となった。日大三戦は初回に3点を奪ったが、その裏に3点を返されて3対3でゲームが進む。5回に3点、6回に1点を加えて7対5でリードし、ゲームは終盤へ。一般的に格上に挑む場合は、終盤にひっくり返されるケースも多いが、野球を楽しむ選手たちは、一つひとつのアウトを重ねてそのまま逃げ切った。チームにとっては創部10年目の快挙だった。

鈴木監督は「選手たちが一球一打に集中してやるべきことをやってくれた結果。全員がゲームを楽しみ、終わってみたら27個のアウトを取って、勝っていた」と振り返る。あの勝利がチームの「価値」をさらに高めて、現在の部員たちの大きな力になっている。

■今年から「髪型自由」、新時代へ

チームは今年大きな変化があった。創部から髪型は一貫して坊主だったが、コロナ禍によって時代の変化を感じた指揮官が「髪型自由」を提案した。坊主のままでもよし、学校規則に添った形で伸ばしてもよし。新チーム以降、坊主を“卒業”した松原康介(2年=捕手)は「坊主を辞めたことで、野球部員としての責任が高まりました。髪型ではなく、普段の学校生活や部活動で評価される選手にならなければいけないと思います」と話す。野球は変わらないが、チームは時代に適応していく。新チームで迎えた今秋は悔しい結果となった。一次予選初戦で駒場学園と戦ったチームは延長15回の死闘の末に敗れた。

星野匠主将(2年=内野手)は「負けたことは悔しいが延長15回までしっかりと戦ったことは前向きに捉えています。ここからどう成長していくかが大切だと思います」と気持ちを込める。鈴木監督は「日大三に勝ったことで、チームが勝ちにいって、勝てなくなってしまっていた。自分たちの野球を貫く先に勝利があることをもう一度、思い出さなければいけない」と情熱を傾ける。チームの「価値」を「勝利」へ。野心を秘めたチームは、自分たちの「価値」を高めることで、勝利をつかんでいく。

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