【レジェンドインタビュー】苦難を乗り越えた先に成長がある 笘篠賢治(元ヤクルト、広島)

「苦難を乗り越えた先に成長がある」
笘篠賢治(元ヤクルト、広島)

 高校野球名門・上宮(大阪)でプレーし中央大を経てヤクルト入りした笘篠賢治。1989年新人王を獲得するなど走攻守でいぶし銀のプレーをみせた職人肌のレジェンドに高校時代を振り返ってもらった。

やり遂げたことが財産 

―高校野球名門・上宮高出身です。  

「2歳上の兄(誠治=元西武)が上宮高出身でセンバツ甲子園に出場しましたが、そのあとを追う形になりました。兄からは、おすすめされなかったのですが、兄が甲子園で活躍する姿をみたときに、自分もあのユニフォームを着て上宮でプレーしたいと思いました。野球推薦ではなく、一般受験で上宮に入りました」

 

―入学時のポジションは?

 「小学校まではピッチャーだったのですが野球肘で野手に転向しました。中学・高校時代はショートでした。入学時には70人くらいの1年生がいたと思います。ただ、厳しい練習についていけずに最終的には20人くらいになったと思います。上宮は、グラウンド整備が厳しくて、先輩のためにショートの周辺を整地する役割がありました。担当ポジションでイレギュラーがあったら怒られるので、砂をふるいにかけて小さな石まで取り除いていました。担当ポジションは、ほかに負けないくらいキレイにしていましたね。それは自分が3年生になっても続けていました。自分のポジションは、人任せではなく、自分でやることが大切だと思います」

 

―高校時代に学んだことは?  

「最後まで、やり遂げたことです。練習場までは片道2時間だったので帰宅は夜11時すぎになりました。それを365日、3年間やり続けたことが自信になりました。あのときを思い起こせば何でもできると思えるようになりました」

 

高校2年で選抜出場 

 

―高校2年で選抜に出場しています。

「私は、控えの最後の背番号で甲子園に連れていってもらいました。負けていた状況で、1イニングだけショートを守らせてもらいました。甲子園はプロになってからも、特別な球場です。当時、チームにスコアブックをつけられる人がいなかったので、試合中はベンチでも円陣には加わらず、監督の横に座ってずっとスコアをつけていました」

 

―スコア担当でもあったのですか?  

「小さい頃から野球が大好きで、甲子園大会のテレビなどを見ながらスコアをつけていました。東海大相模の原辰徳さんやPL学園の西田真二さんの試合をみて、夢中になってスコアをつけていました。プロ野球で、スコアをつけた経験のある選手は少ないと思います。小さいころにスコアを覚えたことが、解説業の今になって役立っています。スコアを見ればどういう状況で何をしたかが、はっきりとわかるので野球にプラスになると思います。スコアのアルバイトなどもありますし、野球の仕事に就くきっかけにもなると思います」

 

―高校3年生のときは甲子園に届きませんでした。  

「私たちが高校2年生のときに、PL学園に桑田真澄、清原和博選手が入学してきて、そこからPL学園は5大会連続で春・夏甲子園出場となりました。PL学園と対戦することはなかったのですが、PL学園を意識しすぎて、その前に負けてしまっていました。自分たちが高校3年生の代では甲子園に行けず、高校野球が終わってしまいました。大阪の高校野球全盛期を体験できたことは、自分の財産です。高校野球は終わりましたが、大学に進学してプロに行くという目標があったので気持ちはすぐに切り替えることができました」

 

―中央大へ進学しました。  

「大学は私の人生の分岐点です。高校野球とはまったく別の世界で、野球に対する意識が変わりました。高校野球では野球を教えてもらう感覚でしたが、大学では自分から学ぶことができました。宮井勝成監督(当時)から選手としてだけではなく人としての指導を受けて、人間的に成長できたと思います。その結果が、ソウル五輪日本代表につながりました。ドラフト会議でヤクルトから3位指名を受けたときは、ホッとしました。高校、大学野球は、試合数が少ないので、負けたら終わりの世界です。自分のためではなく、チームとして戦っていくことが必要です。みんなで力を合わせて戦っていくことが学生野球の素晴らしさで、それはこの時間しか味わえないものだと思います」

 

喜怒哀楽を表現しよう 

 

―野球で大切なことは?

「これは高校野球もプロ野球も同じだと思いますが、練習中の姿が大切だと思います。練習中の努力が分かれば、ミスをしてもみんながカバーしてくれますし、サポートもしてくれます。それがチームの和につながっていくと思います。それはプロでもアマチュアでも同じだと思います」

 

―高校時代の言葉で大事にしているものはありますか?

「ミスをしてしまったあとに怒られて、試合メンバーから外されてしまったことがありました。グラウンドの草むしりを言い渡されて文句を言いながらやっていました。その姿をみた高校OBが『何事も気持ちしだい。腰を落として一本一本を抜くことで、足腰が鍛えられるし、しっかりと抜くことで握力も伸びる。すべて自分のためと思って行動しろ』と教えてくれました。それ以来、辛いことや大変なことがあっても、乗り越えた先に自分の成長があると考えられるようになりました。嫌なことも気持ちしだいでプラスに変えられます。あの言葉は一生忘れないと思います」

 

―今の高校生に伝えたいことは?  

「落ち着いてプレーすることも大事ですが、高校時代は喜怒哀楽をもっと表現していいと思います。技術のある、なしに関わらず、感情表現はどんどんしていいと思います。うれしさ、悔しさを表現することで自分自身が変わるかもしれません。感情を爆発させることで成長できると思います。それは若いときの特権だと思いますので、みんなで勝利の喜び、負けた悔しさを表現してほしいと思います。そういう姿に、みんなが共感してくれると思います。高校野球という貴重な時間を思い切り楽しんでもらえればと思います」

 

 

PROFILE
笘篠賢治(とましの・けんじ)/1966年10月11日大阪府生まれ。上宮―中央大。大学4年生時の1988年にはアマチュア野球世界選手権日本代表選出、1988年ソウル五輪日本代表で銀メダル獲得。同年のドラフトでヤクルト3位指名。ヤクルトで9年、広島で2年プレーの後、現役引退。そのまま一軍守備走塁コーチを3年務める。1989年新人王。

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