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2018年秋都大会ベスト16などの実績
下町から狙う「下克上」&「甲子園」
東東京強豪相手に一歩も引かない戦いを演じる雑草軍団・足立新田。甲子園へ導いた実績を持つ有馬信夫監督の指導のもと、本気で下克上を狙う。
■城東を甲子園へ導いた監督
「昔の指導がダメっていうけど良さもあった。もちろん暴力はダメだが、情熱を持って教えることは大切だよ」。1999年に城東を率いて東東京・都立初甲子園出場を成し遂げた有馬信夫監督は、練習場バックネット横のベンチに座って腕を組みながら頷く。城東指導後に保谷、総合工科で指導し、2018年4月に足立新田に着任した。1961年生まれのベテラン指揮官は「まだ本気で甲子園を狙っているよ」と視線を上げる。目指すのは「良いチーム」ではなく「勝てるチーム」という。数々の修羅場を潜り抜けてきた有馬監督は「各学校には悪い奴らもいたけど、俺は(試合で)使ってきたよ。彼らを外して『良いチーム』を作るよりも、俺は甲子園に行ける可能性が高いチームを選択する。その代わり、責任は自分が取る」と語る。選手たちは指揮官を信頼し、夏舞台へ全力で向かっていく。
■「本気」の意味を実感した時代
調布北で甲子園を目指したのちに日体大へ進学。大学卒業後、都教員となり鮫洲工定時制(閉校)で軟式を7年間指導した。硬式野球指導への憧れから、当時の甲子園の全試合を録画。定時制始業までの時間に、ビデオテープが擦り切れるほど何度も試合を見て高校野球の采配を学んだ。すべての試合のスコアを書き記して、名勝負に関しては全配球を頭に叩き込んだ。「定時制では軟式を指導しながら、空いている時間でやれることを全部やった」。1980年代の定時制には、東南アジアから小舟に乗って命懸けで日本に渡ってきて学んでいた、ボートピープルと呼ばれた難民がいた。彼らは有馬監督たち若き教員に対して「私たちは生きるために必死で学んでいる。本気で勉強を教えてほしい」と切実に訴えたそうだ。有馬監督は「本気」の意味を実感した。その経験は生徒指導、野球指導に大きな影響を与えた。
■甲子園は永遠に憧れの場所
有馬監督は1999年夏に、城東を率いて東東京初の都立甲子園出場の快挙を成し遂げた。東東京では2001年に城東(現文京・梨本監督が指揮)、2003年に雪谷が夏甲子園に出場、都立の時代を切り開いた。有馬監督が城東を甲子園に導いてから25年が経過した。「甲子園の壮大な景色を何度も思い出す。その間に社会や学校を取り巻く環境は激変したが、甲子園という場所は、高校野球に携わる者にとって憧れの場所であり続けている。まだまだあきらめていないし、もう一回、勝負したいと思っている」。有馬監督が率いる足立新田は、下町から「下克上」、そして「甲子園出場」を本気で狙う。昭和、平成、令和を戦い抜いた指導者は、2025年もグラウンドにありったけの情熱を注ぐ。