森井のメジャー挑戦を後押し
「生徒の夢をサポートすることが役割」

 「文武一道」の部訓を掲げる進学校・桐朋を指導する田中隆文監督。今春は、投打の二刀流・森井翔太郎をMLBアスレチックスへ送り出した。監督歴30年を迎える指揮官に、森井の進化の過程と自身の指導の原点を聞いた。

■夢の実現に環境は関係ない大事なのは意思と努力だ

今年1月中旬、最速153キロ、高校通算45本塁打の「投打の二刀流」森井翔太郎がMLBアスレチックスと契約した。田中監督はアメリカに渡り、森井の両親と共に契約の場に同席した。「アリゾナでの契約だったのですが、本場の施設を見学させてもらってスケールの大きさを実感しました。貴重な経験をさせてもらいました」
 森井は桐朋学園小、桐朋中を経て桐朋高へ。中学時代は練馬北シニアでプレーし、中学3年時には最速140キロをマーク。田中監督は、未知なるポテンシャルを秘める森井に高校野球強豪校に進学する道もあることを伝えたが、森井は自らの意思で桐朋野球部を選択。進学校からのプロ入りを目指したという。
 森井は高校1年の夏からメンバー入りし、西東京大会へ出場。2回戦・聖徳学園戦でホームランを放っている。飛躍が期待されたが、そこからは結果が出ずに我慢の時間が続いた。しかし森井は信念を変えることなく、地道にトレーニングを続けた。「森井は、チームにおいて特別な選手ではなく、桐朋の一員。どんな練習にも前向きに取り組んで、自分の力に変えていった印象です。その上で、自宅などでフィジカル強化のトレーニングを重ねていました。3年間の努力が夢につながっていきました」
 森井がメジャーを明確に意識し始めたのは高校2年になってから。メジャーもしくはアメリカの大学進学を考え始めた。「チームメイトたちが大学進学の準備に入っていく中でも、迷うことなく自身の目標だけを見つめていました。妥協せずに道なき道を切り開いていこうとする姿勢が、チーム全体に好影響を与えてくれました」
 森井の才能が開花したのは2024年春。国内外のスカウトが集結した都内強豪校との練習試合で、投手として最速153キロをマークし、2本の本塁打を放った。森井自身は「桐朋で地道にやってきたことが間違いではなかったことがわかりました。公式戦でなかなか結果が出ていなかったが、大きな手応えをつかみました」と話していた。投打における未知なるポテンシャルに、目の肥えたスカウト陣たちが太鼓判を押した。そこからは毎週のようにスカウト陣が訪れて、森井の進化を見守った。
 森井にとっての最後の夏となった2024年夏の西東京大会1回戦・富士森戦には、50人を超えるスカウトたちがメインスタンド一角を埋めた。森井の背番号は「6」。3番ショートで先発した森井に大きな試練が訪れた。先発したエースが立ち上がりに打ち込まれて1回途中から森井が急遽登板したが、流れを止めることができずに1回に7失点。劣勢の中で打者として徹底マークに合った森井は、3打数無安打で桐朋は2対9で敗れた。試合後、森井は「進路については自分自身が一番成長できる環境を選びたいと思います」とプロ志望を宣言。9月にNPB球団に断りを入れてメジャー挑戦を表明した。そして夢を叶えた。
 森井の成長を見守った田中監督は「どんな環境でも強い意思と努力によって、夢が実現できることを森井から教えてもらいました。指導者の役割は生徒を既存のルートに乗せるのではなく、生徒に多くのヒントを提示して彼らの夢の実現へ向けてサポートしていくこと。森井はアメリカに渡りましたが、私自身は桐朋の選手たちと一緒に甲子園を目指していきます。一人のファンとして森井を応援しながら、桐朋で『文武一道』を追求していきたいと思います」と話す。指揮官は、変わらぬ気持ちで日々のグラウンドに立つ。田中監督の存在が、森井のメジャー挑戦を結実させたと言える。

【監督プロフィール】
田中 隆文(たなか たかふみ)
1968年東京都出身。久留米西–日体大卒業後に桐朋高に赴任。野球部部長を3年務め、監督就任。指揮30年目を迎える。体育科教諭。2025年春MLBアスレチックス入団の森井翔太郎を指導。

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