2024年秋から母校で指揮、新たな一歩
小学生が憧れるような高校球児を育てたい

江戸川出身の芝英晃監督が今秋に母校監督に就任した。小山台、荒川商などを経て約30年ぶりに母校のユニホームに袖を通すOB指揮官は、都立で甲子園出場を目指す。

⚫︎18年ぶり4度目の江戸高

―30年ぶりに母校に戻り、監督として後輩を指導する形になりました。
「今までの学校全部が“母校”だと思って指導してきました。僕にとっては関わらせてもらったチームすべてが“母校”です。ただ、江戸川は実際にプレーしていた学校。グラウンドや部室、校舎、教室などはまったく変わっていなくて、多くの思い出がよみがえるという意味では、やはり特別なチームです」
―なつかしさがありますか?
「高校時代に3年間プレーした場所に加えて、教育実習でもお世話になりました。教員8年目には定時制で着任しました。定時制のときから“18年ぶり4度目の江戸高”になります。高校生、大学生などそれぞれで立場が違ったので、感慨深さもあります。多くを学ばせてもらった学校です」
―江戸川入学を決めたのはいつですか?
「小学校5年の7月20日です。その前日に、江戸川が夏の大会で早稲田実に9対8でサヨナラ勝ちしたのですが、その記事を新聞で読みました。最後のランナーがヘッドスライディングでホームインする写真が掲載されていて、その記事を見て兄弟ふたり(双子の兄・浩晃氏=元雪谷監督)で江戸川に進学することを決めました。翌年は3回戦で早実に負けたのですが、その試合は神宮第2球場まで兄弟で観戦に行きました。強豪に立ち向かう江戸川の選手たちの姿にあこがれていました」

⚫︎江戸川対早実は運命の試合

―高校時代の思い出は?
「練習が大変だったのはもちろんですが、先輩後輩の上下関係も厳しくて、毎日が緊張感ある時間でした。自分は左利きですが中学時代まではキャッチャーでした。中学3年生の受験時期に腎臓を壊して、入学後も体調が悪かったのでブルペンキャッチャーをやっていました。一方の兄は、1年秋からベンチ入りし2、3番手投手で活躍しました。自分は2年の夏までブルペンキャッチャーでしたが、当時のマネージャーがチーム紹介に「双子のバッテリー」と書いたことで、取材が来て、注目されました。でも自分はキャッチャーとして試合に出たことはありませんでした。
―高校3年生のときは?
「2年の秋に、体調が良くなりました。自分はサウスポーだったことから初めて投手に挑戦。内野手としても試合に出られるようになり、3年になったときにはエースナンバーをもらいました。最後の夏、2回戦・早稲田実で先発して、特大のホームランを打たれてコールド負けしました。試合が終わったときは、負けた悔しさとやりきったという満足感が混じる気持ちだったのを覚えています。小学校時代に早実の試合を見て、江戸川に入学して、最後に早実に負けたというのも印象深いです」
―大学時代は?
「ピッチャーとして大学に入学して2年から3年夏までエースとして投げていました。ただ、無理をしてしまって3年の秋にまた体を壊して練習ができなくなり休部していました。4年ではベンチに戻ったのですが、万全な状態で投げることはできませんでした。大学4年のときに教育実習を受けて、運良く教員になることができました」
―双子のお兄さんの存在は?
「子どもの頃からずっと一緒で、兄・浩晃がいたから高校時代も頑張れたと思います。兄は最初から高校野球の指導者になるという夢を追いかけていました。最初の赴任の富士では軟式しかなかったのですが、赴任2年目に硬式に変更し高野連に加盟。のちの桐ヶ丘では定時制として都内初の野球部立ち上げに携わりました。都立野球のために尽力した兄はその後、江戸川、雪谷などで指導して、今は家族で北海道で暮らしています。」
―兄・浩晃さんはいま北海道なのですね
「兄の妻が北海道で飲食店を開くという夢があり、人生の後半は妻の夢を応援する形で都内を離れました。僕が、今春に江戸川赴任が決まったときには兄から公式戦用の帽子やユニホームをもらいました。今秋は、兄が着たユニホームで戦いました。兄は、旭川志峯高校で非常勤講師として勤務しながら野球指導に携わっているほか、中学野球指導も手伝っているようです。東京での指導は一旦終了しましたが、野球指導はライフワークです」

⚫︎高校野球の原点を追求

―母校での指導はどのように進めていますか?
「前年度までは自分たちでサインを出すノーサイン野球をやっていたのですが、その長所と課題をもう一度見直すことで高校球児としての原点を模索しています。移りゆく時代の中で、高校野球の原点が何かをみんなで考えながら、自分たちが経験してきた江戸川の伝統を継承して時代に合った野球部にしていきたいと思っています」
―江戸川卒業から約30年。どんな江戸川野球部を目指しますか?
「時代は大きく変わっていますが、野球のルールは変わっていませんし練習方法もほとんど同じです。監督として時代に即した指導は必要ですが、譲れない部分も当然あります。後輩である生徒とともに学びながら、新たな江戸川の野球を築いていきたいと考えています」
―どんな選手を育てていきたいと思いますか?
「僕は小学生時代に江戸川の選手のプレーをみて、その闘志に憧れて、江戸川の門を叩きました。そういう選手になりたいと思って、一生懸命練習をしてユニホームに袖を通しました。そこには、野球の技術は関係ないと考えています。子どもたちの憧れの存在になれる球児が育つ環境を整えていきたいと思います」

【監督プロフィール】1976年生まれ。江戸川―順天堂大。現役時代はサウスポー投手。小山台―荒川商―江戸川定時制―九段中等―足立西―江戸川。2024年4月に江戸川着任。同年秋から監督。

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