【レジェンドインタビュー】2001年最多勝タイトル獲得の左腕 1995年阪神大震災後の選抜に出場 藤井秀悟 (元ヤクルト、日本ハム、巨人、DeNA) #藤井秀悟

藤井秀悟(元ヤクルト、日本ハム、巨人、DeNA)
「甲子園でプレーしたのではなく、プレーさせてもらった」

1999年ドラフトでヤクルト2位指名、2001年は14勝を挙げて最多勝タイトルを獲得した左腕。4球団でプロ通算14年間を過ごしたレジェンドが高校球児にメッセージを送る。

甲子園でのプレーに感謝

―高校3年になる春に選抜大会(1995年)に出場しています。

「高校2年生のときに、阪神大震災直後の選抜大会(1995年)に出場させてもらうことができました。震災直後だったので、甲子園でプレーできたことへの感謝を含めて、特に印象に残っています」

―選抜大会の思い出は? 「1994年12月から1995年1月まで高校ジャパンの第1回AAAアジア野球選手権に参加していて、そこでは優勝することができました。愛媛に戻ってきたときに関西で地震が起きて、選抜開催自体ができるかどうか分からない状況だったので、甲子園でプレーできたことに対して特別な思いがありました」

―当時の甲子園の印象は?

「震災で道路が通行止めになっていたので、甲子園まで電車移動でした。応援も鳴り物が禁止になり、被災者の方へ配慮しながらの大会になったと思います。甲子園でプレーをしたというよりも、甲子園でプレーをさせてもらったという印象です。いまコロナで甲子園が無観客になったりしています。状況は違いますが、感謝という意味では自分たちの選抜を思い出しました

選抜でのケガが人生を変えた

―選抜大会ではベスト4へ進出しています。

「準々決勝で、震災地域の兵庫・神港学園と対戦しました。9回に1点リードしていたときに、僕が左肘の靭帯損傷に見舞われて降板しました。チームは延長サヨナラで勝ったのですが準決勝では投げられずにベスト4で終わりました。甲子園はケガで終わってしまったので複雑な心境でもありました」

―選抜での靭帯損傷のケガはどんな状態だったのでしょうか?

「9回表の初球に『ぶちっ』という音が聞こえました。そこから一塁に交代しました。左手で投げられずに右手でピッチャーにボールを返していました。その夜は宿舎で、準決勝や将来のことを考えて、眠れなかったことを覚えています」

―高校3年生の夏は?

「選抜後に一人でリハビリをしていたのですが、ケガが治らずにピッチャーとしては投げませんでした。キャプテンで4番を任されていたので試合に出ていましたが、県大会では松山商に敗れ甲子園には行けませんでした。大会で負けたときは涙が出ることなく、ただ『終わったな』という思いでした」

野球はチームで戦うスポーツ

―早稲田大に進学しました。

「高校3年生のときは、指名が来るはずもないのに、ドラフト指名を待っていたりしましたが結果的に大学へ進学することになりました。夏にまったく投げていないのに、大学や社会人チームから誘っていただけたことに感謝しています。高校ジャパンの実績などを評価してもらって最終的には早稲田大を選択させてもらいました」

―大学では順調に投げられたのでしょうか?

「大学2年生までは普通に投げられていましたが、3年生のときにまた同じ場所を痛めたんです。手術なども勧められましたが、手術は選択せずに治療とリハビリを続けていたら、不思議なことにケガが治りました。3年生秋の六大学野球には投げることができるという体験をしました」

―2000年のドラフト会議でヤクルトから指名されました。

「ケガ明けの1999年のドラフトで、逆指名制度によってヤクルトに入団することになりました。プロでは2年目の2001年に最多勝を挙げることができましたが、4年目の2003年にまた肘を痛めて、今度は手術をすることになりました。そして手術から10年目の2013年の横浜DeNA時代に、通算4度目の肘負傷となりました」

―4回のケガにも負けなかったのですね。

「僕はプロ人生で4度も同じ場所を負傷しているんです。4度目のときも、手術をせずに治しました。その年で引退したのですが、2014年からはチームのバッティングピッチャーをやっています。高校2年生の選抜取材でケガについて聞かれたときに『このケガが将来、自分にとってプラスになるようにしたい』と答えたのを覚えているのですが、ケガと付き合いながらの野球人生で、『すべてが良かった』とは言えませんが、『ケガが悪かった』とも思っていません。現役を引退しましたが、ケガがプラスになったかなと思っています。今はバッティングピッチャーとしてチームに貢献できることがうれしいです」

―バッティングピッチャーの仕事について。

「僕は、球は速くなかったですし、どちらかと言うとコントロールピッチャーだったので、自分の特徴が生かせると思っていました。現役時代は、打たせないようにしていたのが、バッティングピッチャーは打ってもらわなければいけません。どうしたら気持ち良く打ってもらえるか、調子を上げてもらえるかと考えるようになりました。打ってもらうために、フォームも変えました。ただストライクを投げるだけではなく、相手を考えて投げていくことに、バッティングピッチャーの奥深さを感じます。練習で自分が投げたバッターが試合で活躍してくれるのがうれしいですね」

―高校生のバッティングピッチャーについてアドバイスをお願いします。

「まずは相手の立場になって投げることが大事だと思います。何も考えずに投げるのではなく、なぜ打てるのか、なぜ打てないのかを考えていくと、実際のピッチングにもつながっていくと思います。またバッティングピッチャーに限らず、チームには裏方さんがいると思うので感謝しながらプレーしてほしいと思います。勝つためには、チームとして一丸になること。僕は高校時代、一人でプレーするタイプだったので、早いうちにチームとしての考え方を知っていれば野球人生も変わっていたのかなと思います」

―球児に伝えたいことは?

「僕は4度もケガをしてしまったので、まずはケガを避けてほしいということを伝えたいです。まずは練習への準備をしっかりとすること。そして自分のコンディションを把握して、トレーニングを継続していくことが大事だと思います。自分の反省を踏まえて、球児には万全の状態で最後の夏を迎えてほしい。そしてどんな状況になっても、たとえケガをしてしまったとしても、それを無駄と考えずに自分の力にしてほしいと思います」

 

 PROFILE
藤井秀悟(ふじい・しゅうご) 1977年5月12日愛媛県生まれ。今治西ー早稲田大。1999年ドラフト会議でヤクルト2位指名で入団。2001年は14勝を挙げて最多勝タイトル。ヤクルト、日本ハム、巨人、DeNAで14年間プレーし通算83勝。現在はDeNAチームスタッフ。

 

 

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