
指揮官Interview
法政二〈神奈川〉
絹田史郎監督
33年ぶりの関東大会出場
選手たちの成長に感謝している
今秋の神奈川県大会で準優勝を果たし33年ぶりに関東大会へ出場した法政二。関東大会では1回戦で花咲徳栄に惜敗したが、チームとしてのベストを尽くした。県大会、関東大会の試合後の囲み取材から、OB指揮官・絹田史郎監督の今秋総括、そして指導法を読み解く。
●2度の全国制覇を誇る伝統校の進撃
今秋、法政二が復活を遂げた。秋季神奈川県大会で藤沢翔陵、横浜商大、橘、立花学園などをくだして決勝へ進出し、関東大会出場を決めた。春・夏計11度の甲子園出場、そして春・夏各1度の全国制覇を誇る伝統の進撃が神奈川を盛り上げた。
「選手たちが一戦一戦、成長してくれました。秋関東大会を目標に戦ってきましたが、粘り強い戦いをみせてくれた選手たちに感謝しています。一戦必勝で一喜一憂せずに次の試合へ臨めたことが関東大会という結果につながりました」
決勝では横浜と対戦して敗れたが、王者・横浜との対戦は選手たちの糧となった。
「神奈川4連覇となった横浜は全国トップレベルのチームです。しっかりと準備をしてきましたが、まだ力が足りませんでした。準優勝で満足している選手はいないので、決勝の戦いから何を学ぶかが大切だと思います」
●関東大会では花咲徳栄に惜敗
関東大会1回戦では埼玉1位の花咲徳栄と対戦し5回までに9対0とリードしたが、6回以降に耐えられず9対10で無念の逆転負けとなった。5回までにもう1点が奪えればコールドで押し切ることも可能だったが、10点目が勝敗を分けた。
「9点を取ったあとにもう1点が取れれば、ゲーム結果は変わっていたかもしれません。勝機はあったと思いますが、チャンスを生かせなかったことが響きました。5回までは選手たちが予想以上の力を発揮してくれました。5回のベンチ裏ではキャプテンの平松迅を中心に『0対0の気持ちで戦っていこう』という声が出ていたので、決して慢心があったわけではありません」
花咲徳栄戦はエース松田早太が5回まで無失点だったが、6回以降にリズムを失い、結果的に惜敗となった。
「1から5回までは自分たちの戦いができていましたが、(5回終了後)のグラウンド整備を挟んでまったく別のゲームになってしまいました。エースの松田が5回の攻撃時の走塁で足に違和感が生じたこともあり、6回の失点からゲームが難しくなりました。9回に逆転されてしまいましたが、松田本人に『投げたい』という意思があったのでエースに託しました。彼の好投で関東大会まで来ることができたので悔いはありません。うちもベストを尽くしましたが花咲徳栄さんの力が上だったと思います」
●コミュニケーション重視の指導法
関東大会では勝つことはできなかったが、大舞台に立った選手たちは胸を張って球場をあとにした。県大会からの戦いは大きな価値があった。
「今夏の神奈川大会は11年ぶりにベスト8へ進むことができました。(今秋の)新チームの選手たちには『一歩一歩進んでいこう』と伝えていましたが、夏を経験した4人の選手を中心に秋準優勝という結果をつかんでくれました。課題はもちろんありますが、この結果を自信にして来年の春・夏へ向かっていってほしいと思います」
関東大会は山梨県開催だったが、多くの生徒たちが応援に駆けつけた。大学生も応援に加わっていたという。
「私の教え子だった30、40歳代のOBたちも応援に駆けつけてくれました。スタンドからは法政の伝統の応援が聞こえてきていて大きな勇気をもらいました。試合中はスタンドを見ることはできなかったのですが非常に心強いと感じていました。秋の県大会を通じて多くの方々に応援してもらったことに感謝しています」
今季の選手は2007、2008年生まれの“いまどき世代”。絹田監督は、選手たちの個性を引き出しながら成長を見守っている。
「キャプテンを中心にミーティングを重ねながら課題をどう克服するかに取り組んでくれています。私たち指導陣からの“一方通行”の発信ではなく、選手とコミュニケーションを図り双方で理解を深めた上での練習内容になっています。グラウンドに立つのは指導者ではなく選手たち。日頃の練習を糧にして、自分自身で判断して行動できる選手になっていってほしいと思います」
PROFILE
絹田史郎(きぬた・しろう)
1964年神奈川県生まれ。法政二―法政大。法政二時代は1982年夏の甲子園で右翼手としてプレー。大学卒業後に企業に就職したのち社会科教員として母校に戻る。野球部監督、部長を歴任し現在は監督としてチームを指揮。2025年秋県大会準優勝でチームを33年ぶり関東大会出場へ導く。








