今年1月に森下監督が急逝
甲子園出場が名将への恩返し

元千葉ロッテの小野晋吾を擁した1992年に選抜出場実績を持つ伝統校・御殿場西。今年1月には監督が急逝する不運に見舞われた。選手たちは、恩返しのために甲子園出場を誓う。(取材・栗山司)

■名将の死から立ち直って

高校野球界に衝撃が走った。御殿場西の森下知幸監督(元常葉菊川監督)が1月16日大動脈瘤破裂で急逝。選手たちは大きなショックを受けた。 
 前日までノックを受けていた主将の加藤優弥(3年=内野手)が感謝の言葉を口にする。「森下先生からは野球の技術はもちろん、野球を通して人として大切なことを学びました。でも、いつまでも落ち込んでいても何も変わらない。今は甲子園に行くんだという気持ちがより強くなっています」
 新たにチームを率いるのはコーチとして森下監督を支えてきた竹内健人監督だ。常葉菊川出身で、森下監督の教え子にあたる。「実は森下先生から、この夏まで(勇退)という話を聞いていて、『自分が監督になったら、こういう野球をやりたい』ということを、井上(凌)コーチと年末年始に意見をすり合わせていたところだった」と明かす。

■結果重視のスタイルへ

1月22日、監督に就任すると新たな方針を示した。森下監督が常葉菊川監督時代に築いたバントなし、フルスイング野球を継承。その上で選手の可能性を広げるために、感覚ではなく、数値を重要視するスタイルに変更した。体重、スイングスピード、遠投、50メートル走など、全てを可視化。メンバーを全て白紙とし、フラットな状態で選手を競わせ、「ノルマをクリアしたら誰でも使う。選手には『結果が全て』だと言っている」と個々のモチベーションを高めている。
 さらに、新たな試みとして「マイビジョンマップ」という名のシートを導入。1週間、1カ月の目標、その日の練習メニュー、振り返りを書いていく。効果は少しずつ出ている。加藤主将は「最初は振り返りが薄かったりしたのですが、1カ月以上続けてきて、だんだんと書けるようになりました。それによって、考える力がつきました」

■個々の力量を上げていく

自分の目標を明確にし、必要なものは何か。それを補っていくのが本当の練習だというのが竹内監督の考えだ。「高校野球の場合、指導者から与えられる側面が100パーセントに近い。そこから脱却するために、基本的に自分でメニューを決める。そもそも目指したい野球スタイルを自分で決めてほしいと考えている」。
 1週間のスケジュールはこんな形だ。月曜は休み。火曜、水曜は練習試合で出た課題に打ち込む個別練習。木曜、金曜は連係プレーなどチーム練習に特化し、アピールの場にしている。竹内監督は「この2カ月でかなり選手の意識も変わっている」と手応えを感じている。「今までにない野球部を作りたい。私の中ではこれが完成したときは、選手が自立している状態なので、どこのカテゴリーに進んでも対応できる。その過程で甲子園を通過しているというイメージを持っている」。
 森下監督の野球をベースに、新指揮官のもとで進化する御殿場西。夏に甲子園に行くことが名将への恩返しとなる。

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