【国士舘 野球部】「再び高みへ」

10年ぶりの甲子園から「伝統」を再び

昨秋の都大会を制し、今春に10年ぶりの甲子園出場を果たした国士舘。

自信と悔しさを手にした新チームが再び聖地を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(取材・三和直樹)

■ 秋の優勝と夏の初戦敗退

強さを再び取り戻した。

1991年、93年と
選抜大会4強という実績を誇る「春の国士」。

2009年を最後に甲子園から遠ざかっていたが、昨年の秋季大会で優勝を飾り、今春は10年ぶりの聖地帰還を果たした。

「勝てたのは本当にたまたま。

でも、いいキッカケを作ってもらったと思いますし、選手たちには感謝しています。

何より腐らずによくついてきてくれた」。

2016年9月の監督復帰から、瞬く間にチーム再建を成し遂げた永田昌弘監督は、大きな成果と勲章を手に引退した3年生たちを称え、その姿を思い返しながら目を細める。

ただ、悔いはある。

春夏連続の甲子園を狙った今夏は、4対5でまさかの初戦敗退。

相手が都立強豪・日野であり、雨天によって試合開始が予定よりも2時間半遅れ、その間はバスの中で缶詰状態。

試合が始まっても、ぬかるんだグラウンドに「普通ならタッチアップできる場面で3塁走者が自重してしまって…」と様々なエクスキューズはあった。

だが、「そういうことも含めて自分たちをコントロールできなかったということです」と永田監督。

甲子園の経験と夏の初戦敗退の悔しさを抱えた状態で、新チームのスタートを切ることになった。

■ 実力者を揃えた中での課題

今春の甲子園レギュラー組からは、4番を務める強打の黒澤孟朗(2年)とショートで新主将に就任した鎌田州真(2年)が残った。

昨年のチームは、事あるごとに「史上最弱」と発破をかけられていたが、今年のチームに関しては「去年の最初よりは、多少は戦える戦力なのかなとは思っています」と永田監督は分析する。

新たにエースとなるのは長身右腕の中西健登(2年)。

夏の対外試合で好投を続け、今秋のブロック代表決定戦では、都立西を相手に7回完全試合を記録した。

これまで幾多の好投手を育て上げた永田監督も「指先が器用。

ここから体重が増えれば球速も上がる」と期待を寄せている。

さらに「どこでもできるオールラウンダー」である清水武蔵(1年)の成長も著しく、再び甲子園を目指すだけの戦力、その素地は十分にある。

その一方、「なかなかその気にならない」と永田監督は指摘する。

走塁・守備面ではまだ“甘さ”があり、送りバントなどの小技も「下手ですね。

送るべきところで送れない」と嘆く。

「守備は時間をかければ徐々にうまくなる」と長い目で見ているが、現状では自分たちの力を思うように発揮できない場面も多く、「先輩たちの強さ、凄さというのを感じています」とは鎌田新主将。

まだまだチームとして克服すべき課題は多い。

■ 再び頂点を目指す

課題はある。

だがその分、可能性もある。

62歳となっても「1日1万歩」をクリアしている永田監督は、残暑の中でも力強い声を張り上げ、「うちが目指している野球は、ヒットが出ない中でいかに点を取るかというものです。

その中では、バントや機動力が重要になる」と照明の入ったグラウンドで「国士舘の伝統」のプレーを体に染み込ませるために熱血指導を続けている。

目標はもちろん甲子園。

「一回行って、本当にいいものだと感じましたし、また行きたいという気持ちにもなりました」と鎌田主将は言う。

永田監督も「僕としては『去年よりいいぞ』と思っているので狙っていきたい。

来年の夏は、準決勝に勝ち上がれば東京ドームで試合ができる。

そこまでは残りたい」と力強い。

今春の選抜大会は、ベスト4まで勝ち上がった明石商と1回戦で当たって敗れた。

次こそ、甲子園で国士舘の『舘歌』を歌う。

伝統の強さを取り戻した国士舘が、改めて東京の頂を目指す。

 


国士舘高等学校

【学校紹介】
住 所:東京都世田谷区若林4-32-1
創 立:1917年
甲子園:10回(春9回・夏1回)
創立100年を超える中高一貫の私立男女共学高。

大学も設置。

国家のリーダーとなる「国士」の養成を目的に、スポーツ育成にも力を入れ、柔道の齊藤仁、鈴木桂治ら多くの五輪出場者を輩出。

野球部は東京都多摩市の多摩キャンパス内の野球場で練習。

主なOBに浜名千広、久古健太郎などがいる。

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