今夏の東東京ベスト16。
夏の悔しさを知る選手たちが頂点を目指す
今夏の東東京大会でベスト16入りを果たした大森学園。
夏の主力が多く残った新チームは学校の歴史をアップデートする可能性を秘めている。
(取材・武山智史)
■ 今夏はベスト8まで「あと一球」
「今までのチームの中では、一番強いと思います」。
和泉隆監督は新チームを、このように評する。
夏の主力だった1、2年生7人がそのまま残って、新チームに移行した。
この夏は4回戦まで勝ち上がり、2013年夏以来のベスト8が懸かった5回戦では修徳と対戦。
初回に1点を許すも3回に同点、7回に勝ち越し2対1で9回に突入。
9回裏2死走者なし。
カウント2-2と追い込み勝利まであと1球と迫った。
しかし、そこから4連打を許し2対3のサヨナラ負け。
それはあっという間の出来事だった。
和泉監督は「ヒット1本でだんだん球場の雰囲気が変わっていきました。
『27個目のアウトを取るのが一番難しい』とよく言いますが、身に染みました」と振り返る。
この試合のマウンドに立っていたのは現主将・工藤翔午(2年=投手)。
あのとき、マウンド上ではどんな心境だったのか。
工藤は言う。
「気持ちの面で勝ちを急いだというか、甘いところにボールが集まってしまいました。
そこを逃さなかった修徳の強さや底力を感じました。
打球自体は打ち取っていましたが、気持ちで押し負けたと感じました」
■ 「打ち勝つ野球」を表現
夏の悔しい敗戦を経験し、新チームは始動。
秋季大会ブロック予選では初戦の相手・墨田工に5回まで0対1とリードされるも、6回に4点を挙げ逆転し5対1で勝利。
続く小岩戦は序盤から試合をリードし11対1の5回コールドで都大会進出を決めた。
校内には人工芝のグラウンドがあるが、野球部が使えるのは内野ぐらいの広さ。
ここで練習するのは水曜と土曜の週2回で、主に投内連係やランダウンプレー、ティー打撃といった基本練習に力を注ぐ。
それ以外は大田スタジアムや駒沢球場、旧巨人軍多摩川グラウンド、時には浦安や袖ヶ浦と千葉県内の球場を借りて練習を行っている。
チームが目指しているのは「打ち勝つ野球」だ。
以前、指揮官は「守る野球」を標榜してきたが2013年夏、関東一に1対11(5回コールド)で敗れたことで「打たなくては勝てない」と方向転換。
球場を借りて練習するのも「試合に近い環境で打たなければ、バッティングは向上しない」という信念からだ。
■ 投打充実、102回目の夏へ
打線のキーマンとなるのは積極的な打撃が持ち味の1番・豊田征也(2年=外野手)。
豊田に加えて、野球センスの高い3番・森瑞貴(2年=外野手)、長打力が自慢の4番・上野晟士朗(2年=内野手)が核となる。
3人とも1年秋からレギュラーとして出場してきた実力者だ。
チーム全体で金属バットにラバーを巻き、約2キロの重さでボールを打つなど打撃強化に励んでいる。
一方、投手陣ではコントロールが武器の工藤、直球とスライダーで打ち取っていく佐々木歩(2年=投手)の、夏経験者2人が中心。
1年生ながら夏はショートのレギュラーだった松本哲郎(1年=捕手)は新チーム結成と同時に捕手にコンバート。
和泉監督は「広い視野を持っていて、野球をよく知っている。
楽しそうに野球をやっている子」と期待を寄せる。
松本は捕手だけでなく、3番手投手としても登板をうかがう。
エース兼主将の工藤はチームについて「初回が大事」と試合のポイントを挙げる。
「立ち上がりから相手を叩きつぶすイメージで試合に臨みたいです。
投手ならば初回からストライク先行で投げることが大事だと思います」(工藤)。
大森学園は、旧大森工時代の1976年夏に最高成績となる東東京大会準優勝に輝いた歴史がある。
この夏、修徳戦のサヨナラ負けはチームの大きな教訓となった。
和泉監督の指導のもと一つになるチームは102回目の夏に向けて、更なる成長と進化を目指す。
大森学園高等学校
【学校紹介】
住 所:東京都太田区大森西3-2-12
創 立:1939年
甲子園:なし
1939年に大森機械工業徒弟学校として創立された私立高校。
2005年には大森工業から大森学園に校名変更、普通科が設置される。
野球部は1945年創部で過去最高成績は1976年夏の東東京大会準優勝。
この夏は東東京ベスト16。
今年で学校創立80周年を迎えた。