新たな歴史を刻む初期メンバー
愛する地元・伊東を盛り上げる

新設校として昨年開校した伊豆伊東高校。地元出身の選手たちが集まり、徐々に活気付いてきた。今秋には強豪校を撃破して県大会出場を果たすなど、着実に進化を遂げている。(取材・栗山司)

■地元で育った選手

昨年、開校したばかりの伊豆伊東。今秋は甲子園出場経験のある富士宮北、強豪私学の飛龍を撃破して県大会出場を果たした。
 現在は選手13名、マネージャー3名で活動。全部員が伊東市内の中学出身の地元選手だ。伊東地区はもともと学童野球や中学野球が盛んな地域。そこで育った現在のメンバーの多くが「一緒にプレーしよう」と誘いあって伊豆伊東に進んだ。対島中時代に全国大会に出場した遊撃手の日吉凜(2年)は「新設校で歴史が浅い。新しい学校で新しい歴史を作りたいと思った」と仲間を誘って入学したという。そして、入学後は1学年上の部員が3人と少なかったこともあり、下級生時から経験を積んできた。

■ノーサイン野球で県出場

新たな歴史を作るべく、昨年は「応援される野球部」をスローガンに海岸清掃や朝の挨拶運動に積極的に取り組んだ。だが、夏の大会では勝利を飾れず、地域の期待に応えることができなかった。
 今チームは新たに「応える野球部」を掲げ、「めんどくさい野球」、「ノーサイン野球」、「野球人としての自覚」の3本柱を軸に日々取り組んでいる。主将の武智天鳳(2年=内野手)が教えてくれた。「『めんどくさい野球』は一つ一つのことを必死に泥臭さくやっていこうとすること。『野球人としての自覚』は目の前のゴミを拾ったり、相手より先に元気のいい挨拶をしたりするなど、野球人としての当たり前のことを丁寧に一個ずつやっていくことです」。
 もう一つのキーとなるのが「ノーサイン野球」。基本、試合中はベンチからのサインはなく、選手個々が考えて判断していく。決断に至った経緯を中山裕介監督が説明する。「伊東地区の選手たちは言われたことを一生懸命にやる能力があります。真面目で素直。ただ、こちらの想像を超えてくることが少なく、もっと自分で行動できるようになってほしいと思って取り入れました」。
 秋の県大会出場は「ノーサイン野球」から生まれた。飛龍との敗者復活戦、タイブレークに突入した延長10回表だった。2死二・三塁から打席には4番・西村琉(2年=外野手)を迎える。カウントは3-0。野球のセオリーからいけば1球を待つ場面でも、西村は「自分が決めるしかない」と強振。「サインを出していなかったから思い切りいけたと思う」と中山監督。快心の一打は、ライナーで右翼手のグラブをかすめて決勝のタイムリーとなった。「最初は意思疎通の部分で苦労しましたが、県大会を決めたことで一つの自信になりました」と武智主将。選手たちは「ノーサイン野球」に手ごたえを感じている。

■夏の校歌に向かって

 秋の県大会は初戦敗退も、夏の勝利を目指している伊豆伊東ナイン。この冬は守備で崩れた部分を見直した上で、体全体を大きくしてスケールアップに力を注ぐ。学校や地域からの声援に応え、伊豆伊東の校歌を高らかに歌う日が近づいている。

おすすめの記事