
春夏計5回の甲子園出場の智将
今夏で監督勇退、指導人生に幕
春夏計5回の甲子園出場を成し遂げた桐光学園・野呂雅之監督が今夏限りで勇退し、約40年間の監督人生にピリオドを打つ。神奈川高校野球を盛り上げた名将の言葉をまとめる。
今年5月に
今夏限りでの勇退を決意
夏大会開幕を約2カ月後に控えた5月中旬、野呂監督が今夏で勇退することが新聞各紙で報じられた。指揮官は春季県大会後に、今夏を最後に、ユニホームを脱ぐことを決断。学校サイドからは慰留されたというが、自身の意思で決めたという。
早稲田実から早稲田大へ進学し、大卒の1984年に桐光学園教員となると野球部監督に就いた。学校創立(1978年)間もない時期で野球部もゼロに近い状況からのスタートだったが、土台を築き上げた。
「与えられた環境で不平不満を言わず、他責の念を抱かずに、すべて自分に矢印を向けて情熱を持って取り組んでいくことを心掛けてきました。出る杭は打たれるではないですが、大変なこともありましたが、歯を食いしばって努力してきました。それを乗り越えると少しずつですが結果が出てくるようになりました」
監督就任18年目で
初甲子園出場
横浜と東海大相模という2強が存在する中で2001年に選抜初出場を果たした。監督就任から18年目の悲願達成だった。そして桐光学園を神奈川強豪と呼ばれるまでに成長させた。2012年までに4度の夏甲子園出場。同年には当時2年だった松井裕樹(パドレス)を擁して甲子園ベスト8となった。1回戦の今治西戦では、松井が大会史上最多の10連続奪三振と1試合22奪三振を記録。松井のピッチングと共に、選手の個性を伸ばす野呂監督の指導もクローズアップされた。
「神奈川というエリアから甲子園に出場して、最高がベスト8。その結果がいいかは別として、全国優勝できなかったことが心残りでもあります。ただ、選手、保護者、OB、学校関係者など多くの人に恵まれ、支えてもらった40年だったと思います」
2012年以降は甲子園から遠ざかっているが、各大会で上位進出の結果を残してきた。2023年秋の県大会では決勝で横浜に競り勝って神奈川1位で関東大会へ乗り込んだ。1回戦で文星芸大附に6対3で快勝し準々決勝では山梨学院と対戦。7回まで2点リードしたが8回に同点に追いつかれて延長タイブレークへ突入。延長11回の激闘の末に2対4での惜敗となった。山梨学院は結果的に準優勝となったが、桐光学園はその相手に善戦したことで選抜選考のアドバンテージを得たと思われた。だが選考結果は、補欠校。選抜切符は届かなかった。
野呂監督は「この結果にめげずに、私どもの掲げる野球をより洗練させて、相手より1点多い野球を強固なものにしていきたいと思います。新チームになって選抜へ向けて頑張ってきました。自分たちが目指す野球に近づいていると思うので、この経験を糧にして再び精進していきたいと思います」と受け止めた。
「勝った日も、負けた日もありますが、高校野球の監督はやりたくてもやれない仕事。5回しか甲子園には出られませんでしたが、甲子園はいい場所でした。一度行くと、もう1回、行ってみたいと思える場所でした。若い指導者の方には、ぜひ野心を持って、毎日、情熱を持って生徒に向き合ってほしいと思います」
甲子園出場を目標としたが目的は人間形成。野球を通じて、人を育てて、社会へ送り出した。勇退を発表した指揮官の元には多くのOBが訪れて、感謝を伝えている。
「昨年の3年生はレギュラーも控えも、全員が次のステージで野球を続けてくれています。指導者としては、それが一番うれしい。下を向かずに一歩ずつ進んでいくことで多くの出会いがあり、チームの成長がありました。いい選手たちに恵まれて高校野球を満喫したように感じます。野球を通じて出会ったすべての方々に感謝したいと思います」