今春、村田浩明前監督が退任し尾形裕昭新監督へ伝統継承、県立強豪の新たなスタート
白山はコロナ禍で休校中だった2020年3月末に村田浩明前監督が退任(横浜高校監督就任)、尾形裕昭部長が新監督に就任した。
コロナ、監督交代・・・激動の時間を越えて、チーム、選手はさらにたくましくなった。
2020年9月号掲載
(取材・伊藤寿学)
■3月2日に緊急ミーティング
コロナ感染拡大によって3月3日から県立高校が休校となることが決定した。
白山では、その前日3月2日の練習前のグラウンドで、急遽ミーティングが実施された。
選手たちはコロナ休校の説明だと思っていたが、内容はまったく違っていた。
村田前監督はその場で、部員たちに、年度末に異動となることを伝えたのだった。
「生徒たちに、何も言えないまま白山を離れることはできませんでした」(村田前監督)。
前指揮官は、学校長の許可を得た上で選手たちに、異動内示の旨を報告したという。
突然の知らせに、選手たちは動揺を隠しきれなかった。
■「練習で泣け、試合で笑え」
白山の選手たちは、村田前監督に全面的な信頼を寄せていた。
「練習で泣け、試合で笑え」。練習は厳しかったが、その裏には愛情があった。
選手たちは、技術だけではなく人間的な成長を感じながら野球と向き合った。
昨秋大会は2回戦で三浦学苑に敗れたものの、チームはポテンシャルを秘めていた。
選手たちは、春大会での飛躍、夏の甲子園を目指して、努力を続けていた。
3年生たちは、村田前監督とともに最後の夏を戦うことを信じて疑わなかった。
ラストミーティング中、選手たちは涙をこらえることができなかった。
ある選手は肩を震わせ、ある選手は人目も憚らず思い切り泣いた。
ミーティングのあとは、村田前監督の「最後のノック」となった。
選手たちは、涙混じりの汗をユニフォームの袖で必死にぬぐいながら、ボールを追った。
小川堅誠主将(3年=内野手)は「村田先生には『これまでありがとうございました』と伝えました。これからは自分たちでチームを強くしていこうと選手みんなで話し合いました」と話す。
そして、前指揮官は去った。
4月1日、尾形新監督が就任した。
その日、村田前監督の横浜指揮官就任が発表された。
新体制となった白山だったが、コロナ禍のため休校、練習は自主練習となった。
小川主将は、選手たちと連絡を取りながら、チームをまとめた。
仲間と顔を合わせられないため、難しさはあったが、そんなときは村田前監督から教えてもらった「愛情が人を動かす」という言葉が脳裏に浮かんだ。
自主トレ期間を乗り越えた選手たちは、6月中旬から練習を再開した。
尾形監督は、村田前監督のもとで1年間、部長を務めたため、引き継ぎに問題はなかった。
尾形監督は、福島・聖光学院で甲子園出場。
甲子園での相手が、筒香嘉智(現MLBレイズ)のいる横浜だったという縁を持つ。
さらに、当時の横浜の学生コーチが村田前監督だったという。
尾形監督は「いろんな縁によって、白山を引き継ぐことになりました。村田前監督が作ってくれた土台を継承して、選手と一緒に新しいチームを作っていきたいと思います」と話す。
■活気みなぎるグラウンド
7月中旬、白山のグラウンドは活気に満ちていた。
尾形監督は、選手たちと真正面から向き合い、情熱あふれる指導をしていた。
選手たちは、代替大会へ向けて、気迫をみなぎらせていた。
一般的に監督が代わるとチームの雰囲気が変わるケースもあるが、白山の緊張感はまったく変わらない。
指揮官、選手ともに新たな一歩を踏み出していた。
尾形監督は、これまでの土台の上に新たな彩りを加えていく。
白山高等学校
【学校紹介】
住 所:神奈川県横浜市緑区白山4-71-1【創立】
創 立:1976年
甲子園:なし
1976年(昭和51年)創立の県立高校。普通科、専門学科、美術科を併置し、学内にはコンピューター室、CG室、陶芸室などがある。主な卒業生は、阿部寛(俳優)。野球部は近年、公立強豪として力を伸ばし、2018年北神奈川大会でベスト8。