1992年以来、3度目の甲子園へ
投打の迫力みなぎる大型チーム
1991、1992年夏に甲子園へ出場した樹徳。あれから30年、投打に迫力みなぎるチームは3度目の甲子園の地を踏むために邁進していく。
■出場辞退の秋季大会
無念の秋だった。新チームには大きな可能性が秘められていたが、コロナ禍に巻き込まれる形で出場辞退となった。夏の主力が多く残っていたため選抜出場を狙っての始動だったが、力を発揮する舞台に立つことができないまま秋を終えることになった。しかし、選手たちの気持ちは落ちなかった。甲子園へ向けての大会は「最後の夏」のみ。OB指揮官の井達誠監督は「秋に出られなかったことが、選手たちにとっては逆にモチベーションになっていたと思う。春まで公式戦を1試合もやっていないので悔しいだろうが、残りの時間にすべてをぶつけてほしい」と選手たちに発破をかける。秋が消えた選手たちは、特別な思いでトレーニングに励み、冬を越えた。
■昨夏の経験値を今夏へ
今年のチームは、夏の経験値がある。樹徳は昨夏に準々決勝まで進んでいるが、1番・阿久津佑太主将(3年=内野手)、2番・林日陽(3年=内野手)、3番・今野純之介(3年=捕手)はいずれも当時2年生。夏のマウンドに立ったエース亀井颯玖(3年)らを加えれば夏のスタメン9人中、5〜6人は2年生だった。冬のテーマは、フィジカルアップ。「冬のトレーニングでは技術面に加えて、フィジカルアップを優先的にやってきた」(井達監督)。 打撃陣は冬を越えてスイングスピードが上がり、打球に鋭さが増す。エース亀井は最速145キロのストレートと、キレ味鋭い変化球を武器に三振を奪っていく。投打のスケールは県内屈指で、夏に勝ち上がる力を秘めている。
■生徒たちのために甲子園へ
樹徳は、1991年夏に甲子園初出場。翌1992年にも甲子園出場を果たしている。2度の甲子園の主軸としてグラウンドに立ったのが、現在の指揮を執る井達誠監督だ。今年は、最後の甲子園から30年目の節目。甲子園を振り返る指揮官は「甲子園での練習では大きさは感じなかったが、試合当日に満員の球場に入ったら、甲子園の大きさに圧倒された。あのシーンは忘れることはできない。私は甲子園に行ったことで成長させてもらったので、いまの選手にもその経験をしてほしい。生徒たちのために甲子園に行きたい」と語る。投打の戦力整う今年は、王座奪還の大きなチャンス。今夏、樹徳は30年ぶりに“時計の針”を動かしていく。