伝統ある紫紺のユニフォーム。
「覚悟」と「徹底」で新たな歴史を作る
春夏通算7回の甲子園出場の実績を持つ明大明治。
今年8月から同校OBであり、社会人野球で豊富な経験を持つ加藤和幸監督がチームを指揮することになった。
(取材・三和直樹)
■ どれだけの「覚悟」を持てるか
2010年に野球殿堂入りした江藤慎一氏を師と仰ぎ、社会人チームの監督として都市対抗野球に出場した経験などを持つ加藤監督。
定年となる年齢を迎え、「自分が長年教わってきた野球を誰かに伝えたい」と考えるようになった。
そしてそれは「他のどのチームでもない。
自分の母校の生徒たちに伝えたい」と力を込める。
今年8月、監督として久々に紫紺のユニフォームに袖を通した。
しかし、数々の栄光が刻まれた歴史とは裏腹に、練習試合で守備の乱れから大量失点を繰り返した。
加藤監督は「最初は正直、酷かったです。
ラグビーの点数のようでした」と振り返る。
まず初めに訴えたのは「無駄な送球をするな」ということ。
そして生徒たちに求めたのは「野球をする上での覚悟」だった。
お盆の長野遠征での夜ミーティング。
松商学園に1対19、0対22というスコアで連敗した後、加藤監督は部員全員に語りかけた。
「私は心臓の手術を2回して、生きるか死ぬかの経験をした。
だから、この監督という仕事を、覚悟を持って引き受けた。
君たちはどうだろう?どのぐらいの覚悟を持って野球に取り組むつもりだ?」。
息を呑んだ。
チームに“熱”が加わった。
■ 基本の再徹底で掴んだ秋の収穫
チームを鍛え直す。
やることは基礎的なこと。
正しい送球と正しい捕球、そして正しい打ち方。
基本動作の確認と再習得から始め、同時に「自分たちで考えてプレーすること」、「練習のための練習ではなく、常に試合を想定した練習をすること」の意識を徹底した。
元々、偏差値70を超える秀才たちの集まりである。
話を理解する能力は高く、実行に移す力もある。
「負けるにしても僅差になってきた」と加藤監督。
チームはすぐに変わり始めた。
迎えた秋季大会、ブロック予選2試合で19得点を奪って堂々と本大会に進出すると、1回戦で日本ウェルネスを相手に、エース・須川大地(2年)の力投と中盤の集中打で7回を終えて4対3とリード。
その後、8回裏に逆転を許して4対5で敗れたが、近年上位進出が目立つ東東京の実力校を相手に互角の試合を展開した。
「1球に泣いたという経験は必ず次に繋がる」と加藤監督。
「攻め切れなかった。
もうちょっとリードできたはず」と悔やんだ佐藤優樹主将(2年)も「本戦に行って、ああいう戦いができたことは次に繋がると思います」と手応え。
確かな収穫とともに冬を迎えることになった。
■ 「負けたくないという気持ち」
冬になれば、次のステップに入る。
基本の後は応用。
「彼ら自身が、自分に合ったやり方を見つけてもらいたい。
すべての部分でうまくなる必要はない。
何かのスペシャリストになってもらいたい」と加藤監督は言う。
すべてのプレーを高いレベルでこなせるトップレベルの選手はいない。
だが、選手一人一人が「これだけは負けない」という武器を作ることはできる。
そして、それぞれの武器が一つに合わさった時、番狂わせが起きる。
最も大事なことは「負けたくないという思いがどれだけ強いか」だと加藤監督は説く。
「負けたくないという気持ち。
それは上手い下手、体の大きい小さいは関係ない。
誰しもが思うことができる。
勝とう勝とうと思うと固くなる。
負けたくないと思ったら、死に物狂いになれる」。
チームは確実に、かつ急速に力を付けている。
怖いものはない。
明治の伝統を背負いながら、新たな歴史をつくるつもり。
来年の夏、加藤監督はひと回り大きくなった選手たちをいつもの言葉とともに送り出す。
「よし!戦う準備はいいか?これから君たちのショータイムにしよう!」。
伝統ある明大明治の歴史が、再び動き出そうとしている。
明治大学付属明治高等学校
【学校紹介】
住 所:東京都調布市富士見町4-23-25
創 立:1912年
甲子園:7回(春4回・夏3回)
100年以上の歴史を持つ中高一貫の私立共学校。
明治大学の直系付属校として最難関ランクを誇る。
卒業生には三宅裕司、羽田圭介などもおり、硬式野球部は“御大”島岡吉郎氏が1946年に監督に就任して力を伸ばし、1950年代に甲子園に春夏計7回出場。
2008年から共学化して調布市に移転した。