【レジェンドインタビュー】プロ最多登板&最多セーブの鉄腕ストッパー  岩瀬仁紀(元中日)

1試合1試合の積み重ねが
記録につながった

プロ最多登板&最多セーブの鉄腕ストッパー
岩瀬仁紀(元中日)

中日で20年間にわたり活躍したサウスポーストッパー岩瀬仁紀。プロ最多の1002試合に登板し、プロ史上最多の通算407セーブを挙げたレジェンドがリリーバーの極意を話す。

 

公立校で培った「考える力」

―愛知県の県立西尾東出身と聞いています。
「野球強豪とかではなく普通の県立高校でした(笑)。強豪から誘いがかかるような選手ではなかったので、高校生活を楽しみたいと思っていました」

―高校時代はどんな選手だったのでしょうか?
「ピッチャーと外野手でプレーしていました。入学したときは3年生にエースがいたので、1年秋から投げるようになりました。ストレートとカーブを投げていて、2年秋にはベスト16に進出して、東邦に2対3でサヨナラ負けとなりました。あの敗戦から自分の野球熱が高まりました」

―高校時代の思い出はありますか?
「強豪相手に接戦を演じられたことで甲子園が少し現実的になったと思います。冬場は学校前の坂を走ったり、近くの山へ行ったりして足腰を鍛えました。メニューは個人に任されていたのですが、勝ちたい気持ちがあったので自分自身の意志で取り組むことができました。練習はやらされるのではなく、自分でやることが大切だと思います。メニューを自分で作っていたので、考える力がついたと思います。無名の公立校だったからこそ学べた部分がありました」

―高校3年生の夏は?
「夏2回戦で9回ノーヒットノーランをすることができました。注目してもらっていたのですが、無名校だったのでやっぱり力不足でした。最終的には4回戦で負けてしまって高校野球が終わりました。勝ち上がれば次が東邦だったので、(東邦のスカウティングを警戒して)球種を減らして投げていたのですが、甘くはなかったです(苦笑)」

社会人で投手として成長

―高校卒業後、愛知大に進学しました。
「高校3年生の秋のスポーツ新聞にドラフト候補で自分の名前があったので、淡い期待もあったのですが指名されずに大学へ進学しました。監督から『外野手だったらすぐに試合に出られる』と言われて、試合に出たかったので『やります』と(笑)。そこからは打者として全日本のセレクションに呼ばれるようになりました」

―ピッチャーに戻ったのはいつですか?
「大学3年生の秋に、チームにピッチャーが足りなかったので、『やらせてください』と自分で志願しました。ピッチャーがやりたいというよりも、チームを優勝させたいという気持ちが強かったのです。自分が2枚目で投げれば、チームが楽になるので。あのときピッチャーをやらなかったら、今の人生はなかったと思いますね(笑)」

―大学後に社会人NTT東海へ進みました。
「大学のときは外野手としてリーグでベストナインなどを受賞させてもらったのですが、自分の中で限界も感じていました。プロ野球の話もあったのですが、野手と投手でどっちがプロで通用するかを考えて僕自身がピッチャーとして勝負したいと思いました。NTT東海がピッチャーとして獲得してくれたことが、大きなターニングポイントでした」

―高校、大学、社会人を経て1998年中日のドラフト2位でプロ入りしました。
「いろんな経験をしたことで学ぶことが多かったです。高校、大学は強豪ではなかったので本格的なトレーニングは社会人になってから。社会人の2年間でピッチャーとして成長することができました」

―社会人経由でプロ20年間のキャリアとなりましたが長く活躍できた要因は?
「鳥取のジム・ワールドウイングで初動負荷の自主トレを続けてきたのですが、強さとしなやかさの両面を整えるトレーニングが自分に合っていたと思います。自分の体に合ったトレーニング方法、調整方法を見つけることも大切だと思います」

―プロ最多登板&最多セーブなどリリーバーとしての地位を確立しました。
「最初の頃は、こんなに長くできるとは思っていませんでした。先を見ないで1年1年が勝負だったのですが、それが20年間につながりました。1試合1試合を積み重ねて、継続した結果が、最多試合数、最多セーブになっていきました」

 

続けることで道が拓ける

―高校野球ではどんな心構えが必要でしょうか?
「僕は高校2年の秋に負けた東邦に勝つことを目標に努力しましたが、目標を持つことが自分自身を成長させてくれると思います。目標があると、そこに到達するためには何が必要かを考えることが力になっていきます。練習をやらされるのではなく、自分がどうなりたい、どうしたいという意志がなければ、効果的な結果は得られません。小さくてもいいので、目標を立てることが大事だと思います」

―継投の極意は? 
「準備がすべてです。準備があって試合で力を発揮できます。いつ出番が来てもいいように常に心と体の準備をすることがすべてだと思います。失敗することもあると思いますが、起きてしまったことを戻すことはできないので、次に切り替えることが必要です。ただ、なぜその現象が起きてしまったのかを整理することが大切。失敗には原因があるので、それを糧にして次に進んでいくことが求められます。やるべきことと、やってはいけないことを自分で整理していきました」

―高校生に伝えたいことは?
「僕はほかのプロ野球選手とは、まったく違うキャリアだと思います。ただ、野球が好きで、あきらめずにやってきたことがプロにつながっていきました。いくつかの分岐点がありましたが、続けていたから道が拓けました。どこにチャンスがあるかは分からないですし、早咲き、遅咲きのタイプもあるので、あきらめずに続けることが大事だと思います。それは野球以外も同じだと思います。いまの高校生には、壁にぶつかっても努力していく力を身につけてほしいと思います。そしてそれぞれの目標に向かって一歩ずつ進んでほしいと思います」

PROFILE
岩瀬仁紀(いわせ ひとき) 1974年11月10日愛知県生まれ。西尾東―愛知大―NTT東海―中日。1998年ドラフト2位指名で中日へ入団。2018年まで通算20年、中日に在籍。豪腕ストッパー&セットアッパーとして最多セーブ賞5回、最優秀中継ぎ投手3回受賞。プロ通算407セーブは歴代最高。

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