【レジェンドインタビュー】「不器用だったからこそ努力することができた」平野  謙(元中日・西武・ロッテ)

プロ通算1551安打のスイッチヒッター
平野 謙(元中日・西武・ロッテ)

「不器用だったからこそ努力することができた」

スイッチヒッターとしてプロ通算1551安打を放った俊足巧打のスピードスター平野謙氏。

中日、西武、ロッテで活躍したレジェンドが高校時代を振り返った。

■中学時代はサッカー少年

-高校時代を振り返って。

「愛知の犬山高校という野球無名校でした。

実は、中学までサッカーをやっていたので、高校でもサッカー部に入るつもりでした。

ただ、サッカー部は強豪で、部員がかなり多かったんです。

レギュラーになれそうもなかったので、小学校時代にやっていた野球部に行きました。

野球部は、部員が20人くらいしかいなかったんです」

-中学時代にサッカー部で、プロ野球選手になったのでしょうか?

「そうですね(笑)。

サッカーではセンターフォワードをやっていましたが、センスはなかったと思います。

高校でサッカーを続けていたら、プロ野球選手になることはなかったと思います」

-高校時代はどんな練習を?

「レギュラーになれそうなポジションを探して、センターを希望しました。

僕は、中学時代に野球をやっていなかったので、ほかの選手に比べて基本技術が足りなかったんです。

ボールの握り方も知りませんでした。

まずはレギュラーになるためにセンターを希望しました。

高校2年生の秋からはピッチャーもやるようになりました」

-大会の結果は?

「高校2年生のときは、先輩たちのおかげで夏大会ベスト4まで進みました。

3年生のときは自分がピッチャーで序盤は抑えていたのですが、スタミナ切れで最後は打たれて初戦敗退です。

その翌日は、野球部のみんなで海水浴に行って、楽しみました。

プロ野球は、全然考えられませんでした」

■大学卒業時にドラフト外で中日へ

-そのあとに大学へ進みました。

「僕は、幼いときに両親を亡くして、姉の稼ぎで中学、高校まで進学させてもらいました。

だから高校を卒業したら、就職するつもりでしたが、そのときに名古屋商科大から声をかけてもらって特待生で入学させてもらいました。

周囲はみんな甲子園組で、僕一人が無名選手でした。

大学ではピッチャーとして鍛えてもらいました」

-大学時代はどんなトレーニングをしたのでしょうか?

「外野ポール間を延々と走っていました。

いや、走らされていました(笑)。

それが嫌で、毎年、野手をやりたいと、監督に伝えていたくらいです。

大学時代の成績は18勝18敗くらいだったと思います。

肩が強く、球は速かったかもしれませんが、目立つ選手ではなかったんです」

-中日からの誘いはドラフト外?

「大学卒業時も、社会人野球で就職が決まっていました。

でも、その年に中日のドラフト指名選手が3人拒否して、その補充選手を地元で探していたんです。

大学の監督の推薦などもあり、ドラフト外で声がかかりました」

-進路の決断はどのように?

「最終的には、姉と義兄との家族会議で決めました。

家族から『プロにチャレンジしたほうが良い』とアドバイスをもらって、社会人にはお断りを入れました」

-プロ入り後に投手から野手に転向しました。

「投手として入団して、1年目の後半に2勝して期待してもらったのですが、その後は2軍生活で、くすぶっていました。

3年目でクビになると覚悟していましたが、『野手に転向してみないか』と打診されて、再スタートを切りました」

-スイッチヒッターになったのは?

「野手転向後に、右でなかなか打てなくなってきてしまいました。

周囲は、(転向は)俊足を生かすためにと言ってくれていましたが、打てなかったんです(笑)。

あとがなくなったので、『左でやってみます』と。

そこからは必死で努力ました。

ゴロを打って走るために打撃練習では徹底的に“叩く”練習をしたので、自打球で右足が変形してしまっています。

先輩たちの打撃を盗みながら、自分のモノにしていきました」

-先輩たちから学んだことは大きいのでしょうか。

「左は、プロ入り後に“作ったモノ”なので、先輩たちの打撃がヒントでした。

センスがあったら自分でなんとかしようとしたでしょうが、不器用だったので、いろんなことを吸収して学びました」

-プロ生活を振り返って。

「高校、大学、プロで運が良かったのはありますが、自分が変わらなければいけないタイミングに順応できたということが第一印象です。

野手転向やスイッチヒッターを受け入れられたのは、家族やコーチなど、人の意見を聞いたからです。

自分だけで決めていたら限られた世界になっていたと思います。

プライドは大事かもしれませんがプライドだけでは何の役にも立たないですし、アドバイスを素直に聞いて練習したほうが成長につながっていくと思います」

-高校生にメッセージをお願いします。

「チームには、まずチームとしての目標、そして個人としての目標があります。

個人で言えば、プロになりたい選手、レギュラーで活躍したい選手、レギュラーになりたい選手、3年間野球を続けたい選手など、それぞれだと思います。

それらをみんなが理解して、チームとして同じ方向へ進むことが大切だと思います。

そしてチーム、個人の目標へ向かってみんなで努力してほしいと思います。

そして、どんなときも家族への感謝を忘れないでほしいと思います。

野球ができることは当たり前ではありません。

家族、仲間、指導者への感謝を忘れずに高校野球生活に全力で取り組んでほしいと思います」

 

【プロフィール】

1955年6月22日愛知県生まれ。

犬山高-名古屋商科大。

1977年のドラフト外で中日へ。

投手で入団したがスイッチヒッターとして野手に転向、中日、西武、ロッテでプレー。

プロ通算1551安打。

外野手として9度のゴールデングラブ賞。

現役引退後はロッテ二軍監督、日本ハムコーチ、中日コーチ、独立リーグ群馬監督を務めた。

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