共栄学園〈東東京〉原田健輔監督
「1日1日の努力の積み重ねが 甲子園へつながった」
今夏の東東京を制して甲子園初出場
今夏の東東京大会で悲願の初優勝、甲子園初出場を決めた共栄学園。激動の決勝戦から約2カ月半、原田健輔監督が今夏、そして甲子園を振り返る。
甲子園での激動の1週間
―東東京大会初優勝で悲願の甲子園出場となりました。
「うれしかったのは間違いなかったのですが、そのあとが忙しすぎて、喜ぶ暇もありませんでした。もっと喜びに浸りたかったというのが正直なところです(笑)」
―優勝後のスケジュールは?
「7月30日が決勝で、その翌日(31日)は休みにしました。8月1日は都庁、区長などへ表敬訪問と、荷物の詰め込み作業でした。2日はもう甲子園へ出発したので、あっという間でした。3日に抽選会と甲子園見学。抽選会の結果、開幕戦当日の1日目の試合(対聖光学院=福島)だったので、もうバタバタでした。甲子園常連校であればノウハウがあると思いますが、すべてが初めてだったので大変でした(笑)」
―学校全体も忙しかったですか?
「もちろんです。野球部の移動だけではなく応援団の移動手配もあったので、大変だったと思います。時間のない中で準備をしてくれた学校には感謝しかありません」
―大会初日の試合になりました。
「開幕戦のムードの中で試合をさせてもらったことはありがたかったのですが、初戦で負けてしまったので、もう少し甲子園に居たかったです。試合翌日の朝には荷物をまとめて引き上げてきたので甲子園滞在は6日間。選手たちにはもっと試合をさせてあげたかったです」
―甲子園の思い出は?
「忙しかった思い出が一番ですね(笑)。聖光学院との試合では、私と相手の斎藤智也監督の経験の差を痛感しました。監督としての経験の差が、そのまま得点差(3対9)につながった印象です。甲子園遠征への段取り、試合への準備、取材対応などを含めて大きな差があったと実感しました。選手たちはすべての力を出し切ってくれたと思います」
―甲子園で戦った実感は?
「甲子園が終わり、夏休みが終わって、いまになって『甲子園に行ったんだな』と振り返ることができています。帰ってきたらお世話になった方々への挨拶回りや新チーム始動準備だったので落ち着く時間がありませんでした。それくらい慌ただしい時間でした。ようやく時間ができたので夏の記憶を辿って甲子園での経験を記しておきたいと思います」
1日の積み重ねがすべて
―東東京大会を振り返って?
「3年生が、良い積み重ねをしてくれたと思います。1日1日の積み重ねが、大舞台での大きな力になったと感じています」 ―準決勝でのサヨナラ勝利時には涙を流していました。 「冬場の体作りで一番苦労していた選手(齊藤開心)が最後に決勝打(内野安打)を決めてくれました。あの瞬間、選手の努力が走馬灯のように蘇ってきて、思わず涙ぐんでしまいました。彼だけではなく、すべての選手の努力が結果につながったと感じました」
―東東京から久しぶりに初出場校・監督が誕生しました。
「東東京では2012年の成立学園さん以降、初めてと聞きました。今夏の場合は、二松学舎大附さん、関東一さん、帝京さんが敗れる波乱の大会でしたが、その中で力を発揮してくれた選手たちに感謝したいと思います。東東京大会は、監督として甘い部分がありましたが、生徒たちに助けてもらって勝ち上がることができたと思います」
―甲子園で“見えたもの”は?
「1日1日の積み重ねの力です。1日で得られるものは小さいと思いますが、それを100日、200日と積み上げていくと、本当に大きな力になります。当たり前の話なのですが、それを生徒たちから教えてもらいました」
―専用グラウンドがない環境での甲子園出場には価値があります。
「江戸川河川敷グラウンドを平日週2日使用させてもらっていますが、残りの2日が校内でフィジカル中心の基礎練習。週末は各地のグラウンドで練習試合をさせてもらっています。専用グラウンドがない環境で、甲子園出場をつかみ取ってくれた生徒たちの努力には、監督として感謝しています」
―甲子園で全国強豪を見て?
「共栄学園の後の試合が浦和学院対仙台育英の試合だったのですが、仙台育英のノックを見たときに全国優勝を狙うチームのレベルの高さを知りました。技術、フィジカル、強度などすべてのレベルが高く、上には上がいると感じました。仙台育英とは対戦できませんでしたが、甲子園という場所に行ったことで全国のレベルを知ることができました」
甲子園出場がすべてではない
―甲子園に行って監督の周辺で変わったことは?
「何も変わりません。学校内で出世するわけでもありませんし(笑)、そもそも僕の仕事は甲子園へ行くことではないと考えています。日々のグラウンドで生徒たちとともに努力して、彼らを人間的に成長させてあげるのが役割だと考えています。甲子園はゴールではなく過程。試合を見てくれた人に感動を届けたいと思います。今夏は、その結果が甲子園につながりました。選手たちは甲子園での経験を糧にして、今後の人生で頑張ってほしいと思います。それが指導者として一番の願いです」
―次の目標は?
「もっと多くの方々に勇気や感動を届けていきたいと思います。『共栄学園の試合から勇気をもらった』『共栄学園の試合を見たい』と言ってくれる人を一人でも増やしていくことが目標です。その先に2度目の甲子園があると考えています」
監督プロフィール
1986年埼玉県生まれ。浦和学院−共栄大。大学卒業後、金融機関に勤めたが金融危機の影響により2年で退職し共栄学園職員に。その後野球部顧問に任命され2012年から監督。2019年秋ベスト8進出、2022年夏ベスト16。2023年夏悲願の甲子園初出場。