「甲子園のマウンドで一球の重みと怖さを知った」

日本ハムで内外野を守れるユーティリティープレーヤーとして通算777試合に出場した杉谷拳士氏。高校時代は帝京高で1年生からレギュラーを務め、春夏通算3度甲子園に出場。球界屈指のムードメーカーとして多くの野球ファンに愛された杉谷氏に高校時代の思い出を聞いた。

―野球を始めたきっかけは?

プロボクサーの父・満の影響もあり、物心がついた時から体を動かすことが好きでした。野球を選んだのは一つ年上の兄・翔貴の影響が大きいです。兄が野球をやっていたので、自分も練習についていくようになって小学2年生から軟式野球を始めました。兄は体が大きくて“エースで4番”というタイプだったので、「負けたくない」と思ってプレーしていたことを覚えています。

―帝京へ進学しようと思ったきっかけは?

 最初に声を掛けてくださった高校に行こうと思っていたので、都外の強豪校に進もうと考えていました。しかし兄が帝京に進学し、これまで同じチームで競い合ってきた兄と別の高校に進むのは「逃げているみたいで嫌だな」と感じ始めました。最後は母から「お兄ちゃんと一緒の高校でやっている姿が見たい」と言われたことが決め手となり、帝京への進学を決めました。

―帝京への進学を決め、入学前に取り組んだことはありますか?

 先に入学していた兄にチーム事情などを聞き、1年生の春から試合に出るつもりでトレーニングや食トレをしていました。兄は進学後に体重が減っていたので、まずはご飯を食べることが大事だと思い、高校入学までに体重を10キロ以上増やしました。自分も入学後に体重が減っていったので、入学前に対策しておいてよかったと思いました。

―入学直後から遊撃手のレギュラーを任され、1年生ながら甲子園出場に貢献しました。

技術では上級生に敵わないことがたくさんありましたが、「やる気と元気だけは負けたくない」と思い、とにかく元気に声を出してプレーしていました。また、「野球では絶対に誰にも負けたくない」とガツガツしていたので、生意気だったとは思いますが、上級生にも言いたいことをはっきりと言っていました。上級生からは厳しいこともたくさん言われましたが、自分は負けず嫌いで一切へこたれなかった。そういうところを前田三夫監督(当時)が買ってくれたと思っています。

―1年生の夏は甲子園準々決勝で智辯和歌山と対戦。両校合わせて29安打25得点を記録した乱打戦の末、12対13でサヨナラ負け。9回裏の1点差の場面で杉谷氏はマウンドにも上がりました。

まさかマウンドに上がるとは思っていなかったのでびっくりしました。あの時は「甲子園のマウンドに立てる」「全国中継のテレビに映っているのかな」と気持ちが浮ついていました。結果は初球で死球を与えて一球で交代。代わった投手もヒットを打たれたり、四球を出したりしてサヨナラ負け。あの敗戦から一球で試合の流れが変わる怖さや一球の重みを学びました。考えの甘さにも気付き、野球に対する考え方や取り組み方が変わった“あの一球”は自分にとって大きかったです。

―1年生の秋以降は主軸となり、2年生では春夏連続で甲子園に出場。印象に残っている試合や出来事はありますか。

2年生の夏の都大会決勝・修徳戦が高校3年間で一番印象に残っています。試合は中盤までビハインドで、6回のチャンスに4番の中村晃さん(ソフトバンク)が打ち取られた時に「まずい、このままでは負けるかもしれない」と感じ、一番追い詰められた試合だと思います。5番の鎌田(康豪)と6番の自分で「2年の俺たちで決めるぞ」と気合いを入れ直しました。その後、自分が勝ち越し打を放った瞬間の喜びは忘れられません。また、相手のエース・佐藤瞬投手は兄と同級生で、家族ぐるみで仲が良かった幼なじみ。「高校でも対戦したい」とは思っていたのですが、まさか甲子園がかかった大一番になるとは…。

―自身2度目の夏の甲子園出場後、5季連続の甲子園を目指して主将になりました。

秋は都大会の準々決勝で早稲田実と対戦し、4対7で逆転負けでした。自分たちの代は入学から3季連続で甲子園に出場し、都大会で負けたことがなかった。試合の中盤や終盤で逆転される展開も少なく、逆転された瞬間にチーム全体に焦りが出てきてしまいました。負けの経験がなかった分、逆に難しさを感じました。春は都大会で優勝し、夏は第一シードで挑みましたが、4回戦で関東一に5対9で敗戦。甲子園を経験したメンバーも残っていましたが、「もう一度甲子園に行こう」と全員を同じ方向に向かせることができなかった。主将としてチームをうまくまとめきれなかった申し訳なさや悔しさは今でも忘れられません。

―入団テストを経て、ドラフト6位で日本ハムに入団しました。

社会人野球に進もうと思っていたのですが、諦めきれずにファイターズの入団テストを受けました。しかしテストでは5三振。その時点でのプロは諦めて、社会人野球で頑張って3年後の指名を待つつもりでいましたが、吉村(浩)さん(現日本ハムチーム統括本部長)が「元気があって面白そうだから」とチャンスを与えてくれました。

―日本ハム一筋14年、通算777試合に出場しました。

ファイターズは、新庄剛志さん(現日本ハム監督)や高校の大先輩・森本稀哲さん(現日本ハム外野守備走塁コーチ)などが明るく野球をしている姿を見て憧れていた球団。「多くの人に笑顔を届けられる選手になりたい」と憧れを抱いた球団での14年間は、とにかく野球が楽しかったです。仲間やチーム関係者に恵まれ、栗山(英樹)監督や高校の大先輩・石橋(貴明)さん(とんねるず)など多くの素敵な人たちとの出会いもありました。これからも野球を愛し続けたいと思える14年間を過ごすことができました。

―高校球児へのメッセージをお願いします。

自分は「ルールの中で生きていくこと」を高校野球から学びました。ルールがあるからこそ、一人のミスで大会に出られなくなってしまうこともある。「高校生だから…」は通用しないので、自覚のある行動が求められます。高校野球を通じて、ルールを守ることの大切さや仲間を思いやる気持ち、言葉遣いや挨拶などのコミュニケーションを、社会人へのステップアップとして学んでほしいです。また、一つの勝ち負けで感情が大きく動くのが高校野球。一発勝負のトーナメント戦で、勝つことの喜びや一球の重みを学び、感情を爆発させて存分に青春を満喫してください。

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