【東京実】 「新時代へ」 #東京実業

山下秀徳監督が今夏の東東京大会後に勇退
松田稔新監督のもと新たなスタート

 東京実は今夏の東東京大会後、41年にわたってチームを指揮した山下秀徳監督が勇退し、松田稔コーチが監督に就任した。東京実は新たな時代へと進んでいく。

■名将、65歳の定年で決断  

東京実は今夏の東東京大会4回戦で小山台に0対6で敗れた。試合後の大田スタジアムで山下監督は、今夏で監督の立場から離れることを選手たちに伝えた。今年度末で65歳の定年を迎える山下監督は今春に体調を崩したこともあり、20年以上も苦楽を共にしてきた松田コーチに道を譲ることを考えていたという。そして大会前に学校関係者に告げて、東東京大会を迎えていた。選手たちは、それを正式に知らされることなく、大会でベストを尽くした。そして、勇退の時を迎えた。山下監督は「私の高校野球指導人生はここで終わり。3年生たちには結果を導くことができなくて申し訳ないと伝えました。1・2年生たちには、松田新監督のもとで頑張ってほしいと激励しました」と話す。選手たちは涙ぐみながら恩師の言葉に耳を傾けたという。

■東東京で3度のベスト4進出  

山下監督は日体大卒業後に桜美林で指導。1981年には監督として選抜出場を果たしている。選抜後の1981年4月から東京実教員となり、野球部指導に没頭した。ゼロからのスタートだったが、1989年には初めてベスト8へ進出するなど実績を残していった。その年は、吉岡雄二(元巨人)擁する帝京と準々決勝で対戦し好勝負を演じたが惜敗。帝京はその夏に初の全国制覇を成し遂げた。1996年には、4回戦で前年度甲子園優勝の帝京を撃破して初ベスト4進出。2007、2013年にも準決勝へ進出し、東東京で確固たる地位を築いた。  

その一方で悲しみもあった。チームが結果を残し始めた1990年代、山下監督の次男が小児がんを患い、闘病生活の末に小学校入学直後の6月に他界した。練習で生徒たちにノックを打ち込み、練習後に病院へ駆けつける生活が続いた。山下監督は「自分の人生で一番、きつい時間でした。生徒たちの頑張りに救われた面もありました」と振り返る。山下監督は、野球部に人生を捧げていた。

■前監督は見守り役へ  

チーム強化のバトンは松田新監督へ渡した。山下監督は夏大会後も毎日、グラウンドへ足を運ぶが、現場は松田新監督に任せて草刈りなどグラウンド整備を担当している。山下前監督は「野球の指導自体も変わってきているので、若い松田先生に任せて、私は選手たちが気持ち良く野球が出来る環境を作っていきたいと思っています。松田先生とはずっと一緒にやってきたので、安心してチームを託せました。いまは肩の荷が降りて、野球の違った部分が見えてきています。チームの外側から生徒たちをサポートしていければいいと考えています」と微笑む。松田新監督は「山下監督が大事にしてきた人間的成長を大切にして、その上に結果を積み重ねていきたい」と次なる一歩を踏み出した。新指揮官は、山下前監督が築いた東京実の土台を引き継ぎながら、新たなチームを作っていく。

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