篠塚和典(元巨人)
甲子園での2本のホームランが人生を変えた
首位打者2度獲得の広角打法のスペシャリスト。
左右に打ち分ける芸術的なバッティングで2度の首位打者を獲得した篠塚和典氏(元巨人)。
自在のバットコントロールで安打を量産した打撃の職人はいかに技術を身につけたのか。
レジェンドに広角打法の極意を聞いた。
2018年1月号掲載
取材・伊藤寿学
■ 甲子園は特別な場所でした
−高校時代はホームランバッターだったと聞いています。
そうですね。『飛ばす』ことが野球の醍醐味だと思っていたのでホームランを狙っていました。
自分は体が大きい方ではなかったので、この体でボールを最大限に飛ばすことが楽しみでした。
パワーで飛ばす人、体の使い方で飛ばす人…いろいろタイプがありますが、いろんな打ち方を試して、“飛ばすポイント”を見つけるのがおもしろかったです。
その経験がプロになって生きていきました。
−高校時代のツラい思い出はありますか?
練習がツラいと思ったことは、そんなにないんです。
練習は中学の方がツラかったですね。
逃げ出したりもしていましたから(笑)。
高校では『甲子園』という大きな目標がありましたし、銚子商に入った時点でプロを視野に入れていたので『ここで頑張ればスカウトにも見てもらえる』と思っていました。
甲子園はスカウトの注目を集められる一番のチャンスなので、甲子園に行くことだけを考えて練習に取り組んでいました。
−甲子園出場は?
2年生の春と夏です。
1年の時は骨折していたので、アルプススタンドで応援していました。
2年生の春はショート、夏はサードで出場しました。
打順はともに4番です。
ホームランを打ちたいと思って甲子園に臨みましたが、その結果、夏に2本のホームランを打つことができました。
その時のバットの感触はまだ覚えています。
1本目はPL学園戦で高く上がって『ラッキーゾーン』に入っていきました。
2本目は平安戦で、ライト側の看板のある通路まで飛ばしました。
かなり飛んだと思います。
甲子園は特別な場所なので、2本のホームランは忘れることができません。
−甲子園優勝の思い出は?
私は2年生だったので『来年も優勝したい』という気持ちが強かったです。
3年生とは、思いが少し違ったかもしれません。
また当時の銚子商は、2年生が甲子園の砂を持ち帰ってはいけなかったんですよ。
それが銚子商の伝統だったので(笑)。
だから、スパイクについた土を丁寧に落として大事に取っておきました。
3年生のときは優勝候補と言われながら、予選で負けてしまって甲子園の土を踏むことはできませんでした。
野球は甘くないと思いました。
−高校の練習で一番印象に残っていることは?
銚子商では、パンクさせたカブ(バイク)や自転車を押しながら、海辺の坂道を上がっていく名物トレーニングがあったのですが、それは地獄でした(笑)
−高校時代、一番大事にしていたことは何でしょうか?
練習試合などでいろいろな選手を『観察』していましたね。
今のように動画で撮れるわけではないので記憶力、想像力をフルに使って観察していました。
自分の目で見て良いと思ったものは、すぐに真似していました。
フォームやタイミングは自分に合う・合わないがありますから、まずは試してみることが大切だと思います。
■ 生き残るために打撃改造
−打撃技術が評価され巨人から1位指名でプロ入りしました。
初めてファーム(2軍)に入った時、先輩たちの打球の速さ、飛距離が全然違ったんです。
18歳の私は『この人たちと同じ土俵で争っても勝てないな』と感じました。
そして自分が生き残る道は、人よりもたくさんヒットを打つことだと思ったんです。
そこから打撃の意識が変わりました。
−流し打ちの極意は?
中学・高校生のときはホームランバッターでしたが、当時から藤田平さん(元阪神)のフォームをテレビで見て、流し打ちをマネしていました。
自然体で柔らかくバットを出して、バチーンとレフトへ運んでいくイメージです。
−どんな練習をしたのでしょうか?
土手や壁に向かってノックをしていました。
自分でピッチングを想像しながら左右に打ち分ける感覚を覚えました。
プロに入ってからはインフィールドの90度をすべて使えるバッターになって打率を上げようと努力しましたね。
どこに打っても、ヒットはヒットなので。
1つのコースをいろんなところに打てるよう打撃練習をしました。
−どのような意識を持つことが必要でしょうか?
『インコースだから引っ張る』と決めつけないでインコースでもセンターに打ったり反対方向に飛ばしてみたりすることで、打撃の幅が広がってきます。
どれくらいの力で振ったらいいのか、どれだけ力を抜いて打てるのか、いろいろ試しました。
わざと詰まらせてみたり、バットの先で打ってみたり…、体がその感覚を覚えるまで練習しました。それによってヒットゾーンが広がりました。
−生き残るための打撃改造だったのですね
プロの投手の球はスピードも速く、球種も多いので“自分のフォーム”ではなかなか打てないんです。
どんな球にも対応できないと太刀打ちできないので『いい形で打とう』とは思っていませんでした。
いかに“崩されても打つ”か、その確率を上げることに集中しました。
フリーバッティングの練習では、崩されていることを想定して自分でいろいろなタイミングでミートさせることを意識しました。
それによって広角に打ち分けることができるようになり、打率も上がっていきました。
打撃の考えを変えたことで、プロで長くプレーすることができたと思います。
■ 毎日、努力する習慣を身につけてほしい
−いま子どもたちの指導をしているそうですが、どのようなことが大事ですか?
一番大切なのは『続ける』ことです。
スイングなら5回でも10回でもいいと思います。
とにかく毎日、家でバットを持つことが大事です。
学校に行く前、帰ってきた後、寝る前など習慣づけて続けていれば必ず自分のモノになります。
昔は町のあちこちで野球ができましたが今は環境が変わってきています。
だから、バットを握る習慣をつけることが大切。
それは野球以外のことにもつながっていくことでしょう。
−プロ野球選手のマネをすることで技術は伸びるのでしょうか?
マネをしながら、自分で“枝”をつけていくことです。
すべてをマネしていたら自分のモノにはならないんです。
手本を“幹”としていかに“枝”を広げていくか。これが上達のポイントです。
−スランプを克服する方法は?
スランプになったときに、いつもと同じようにバッターボックスに入ると同じようにやられてしまうことが多いと思います。
そんな時は他の人のバットを借りてみるだけでも、変化がつきます。
グリップの太さが変わっただけでもバッターボックスに立つ感覚やフォームも変わってきます。
小さなことで打撃は変化するので、練習でいろいろな方法を試しておくことがスランプ脱出にもつながっていくと思います。
−プロ野球選手になるためには?
走攻守をバランス良く伸ばしていくのが大事だと思います。
今の時代は、一つだけの武器では戦えません。
私は子供たちに『まずは守備に自信が持てるようにしろ』と指導しています。
守備は一度身に付いてしまえば技術が落ちていくことはないので、先に極めてしまえば、その分、打撃に集中できます。
守備に自信がつけば、野球がさらに面白くなると思います。
−篠塚さんが野球から学んだことは?
『周りを見る』ことですね。守備の時にはピッチャーの球速、バッターのスイング、あらゆるところに目を配っています。
ですから私生活でも相手の仕草を良く見てしまいます(笑)。
指導者になってからは、選手の日常生活を見るようになりました。
ミスをしても『あいつのミスならしょうがない』と言われるような選手にならないといけないと思います。
ミスをして『あ~やっぱりな』と思われてしまう選手では、チームの一員にはなれません。
野球は個人競技ではなくチームプレーなので、グラウンドでも日常生活でも周囲にアンテナを立てて、野球を愛する選手にふさわしい行動をしてもらいたいと思います。
【プロフィール】
1957年、東京都生まれ千葉県育ち。1974年、銚子商2年の時に春夏甲子園出場、夏には全国制覇を果たす。翌年巨人からドラフト1位指名を受けプロ入り。広角に打ち分けるバットコントロールを持つ高打率打者として6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献。現在は野球解説者。