夏甲子園11回出場の伝統名門。
親・仲間への感謝を胸に独自大会へ
来年度、創部100周年の節目を迎える高崎商。
時代の節目を迎えるチームは今夏、飛躍のシーズンにすべくスタートを切った。
甲子園の道は消えてしまったが、野球ができることへの感謝を胸に最後まで戦い抜く。
2020年8月号掲載
■ 僕らの代で結果を残すつもりだった
堤悠輝監督が母校・高崎商指揮官に就任して2年目。
新型コロナウイルス感染拡大によって、甲子園大会が中止となり、聖地へと続く群馬大会もなくなった。
2020年夏へ向かう3年生たちは、人数こそ16人と少なかったが、目標に向けて切磋琢磨できる選手たちだった。
彼らが2年生の春に、富岡潤一前監督が管理職就任のため“勇退”、堤監督がグラウンドにやってきた。
チームには戸惑いもあったが、選手たちは、若き指揮官を信じて、努力を続けてきた。
小池瑛太主将(3年=外野手)は「堤監督は選手と年齢が近く、僕たちの意見を取り入れながらチームを作ってきてくれました。
僕らの代で結果を残して、恩返しをしたいと思っていました」と話す。
■ 保護者署名活動で独自大会へ「光」
昨夏大会は、2回戦で前橋商と対戦。
伝統商業高同士の対戦となったが、白熱のゲームは一進一退の攻防の末に3対3で延長戦へ突入。
11回裏にサヨナラ負けを喫して力尽きた。
そして小池主将、エース原田翔太(3年)を軸に新たな船出となった。
岡田遥斗(3年=内野手)、竹内宗斗(3年=外野手)らも確実に力を蓄え、選抜を目指して昨秋大会へ臨んだ。
だが、3回戦で常磐に6対11で競り負けて、秋を終えた。
自分たちの甘さと向き合い、冬トレに励んだチームは心技体が成長し、スケールの大きな集団へ変貌を遂げつつあった。
このままで終わるわけにはいかない。
秋の屈辱を晴らすのは、春、そして夏大会。球春到来を控えて、選手たちの士気が一気に上がった。
しかし、コロナ禍がチーム活動を止めた。
そして、最後の夏大会も無情にも中止となった。
選手たちを支えたのは保護者だった。
甲子園中止を受けて高崎商保護者らは、代替大会開催へ向けて署名活動を行うなど、いち早く行動。
その勇気ある行動は県下に広がり、多くの声が届いたことで、群馬県でも独自大会開催につながっていった。
■ 魂のグラウンドミーティング
6月中旬の全体練習再開日、堤監督は選手たちをグラウンドに集めた。
ソーシャルディスタンスを確保した上でのグラウンドミーティングで、現状を説明し、独自大会へ挑む覚悟を示した。
堤監督は「3年生の保護者の行動もあり、最終的には独自大会で試合ができることになった。
独自大会がなければ3年生は試合がないまま引退となっていただろう。
学校でも、多くの先生、生徒たちが野球部を心配してくれている。
多くの方々の行動によって試合ができようになった今、次は、選手たちが戦い抜いて群馬県で優勝する番だ。
すべての力をみせてくれ」と力を込めた。
小池主将は「自分たちの力ではどうにもならないことで、甲子園大会がなくなってしまって悔しい。
でも代替大会という場所を用意してくれたことは僕たちの希望になりました。
僕らは、支えてくれた監督や親のために独自大会で優勝を目指します。
そして後輩たちには、自分たちが叶えることができなかった甲子園出場の目標を成し遂げて欲しいと思います」と夢を託す。
1921年創部の伝統校・高崎商は、来年度、創部100周年の節目を迎える。
3年生たちは、後輩たちへ「100周年へのタスキ」をつなぐ。
高崎商業高等学校
【学校紹介】
住 所:群馬県高崎市東貝沢3-4
創 立:1902年
甲子園:14回(春3回・夏11回)
商都・高崎を中心に多くの人材を輩出してきた伝統商業高。硬式野球部は春夏通算14度の甲子園出場。2006、2009年選抜、2012年夏甲子園出場。