「大人のチーム」への変換期。
甲子園中止でも隼人の戦いは終わらない
横浜隼人は 「大人のチーム」 を目指してチーム改革を実行した。
自由を与えることで選手たちに自覚が生まれ、チームは確かに変わっていった。
2020年7月号掲載
(取材・伊藤寿学)
■ まさかの「髪型自由」
改革のシーズンとなるはずだった。
2017年まではベスト8の常連だったが、この2年間は実力校相手に競り負ける戦いが続いてしまった。
2019年夏は、日大藤沢に3対4で惜敗、同年秋は桐光学園に1対6で屈した。
この状況を変えるにはどうするべきか。
水谷哲也監督は、選手一人ひとりが責任と自覚を持つ「大人のチーム」になることを求めた。
そして、隼人史上初の「髪型自由」を決定した。
選手たちの間からは、どよめきが上がったという。
水谷哲也監督は「時代は変わっている。
髪型自由へのリスクもあるかもしれないが、選手を信頼していくことが大切。
指導者も変わらなければいけない」と、大人のチームへの脱皮を図った。
■ 夏を信じた選手たち
髪型については、選手たちが話し合いを持ち、「学校規則」「高校球児らしい髪型」というルールを設けた。
自由には責任が伴う。
また負ければ、「あの髪型だから負けた」と言われかねない。選手たちは、それまで以上の自覚を持って、野球に向き合った。
オフシーズンには、新3年生対新2年生の紅白戦を実施し、経験値を積んだ。チームは伊東拓海主将(3年=投手、外野手)、俊足巧打のリードオフマン吉川開斗(3年=外野手)を軸に、菊地希(3年=内野手)、主砲・笹沼大輝(3年=内野手)、エース梅田健太郎(3年=投手)らが主軸を固めた。
伊東主将は「髪型が自由になったことで責任が生まれ、チームが変わっていった」と話す。
チームは、春大会での関東大会出場、夏大会で甲子園を目指し、3月を迎えたが、コロナ禍によって恒例の沖縄・春キャンプが中止となり、チームの活動が止まった。
夏を信じた選手たちは、自主的に練習を積んだが、無念の結果となった。
■ マスク姿の青空ミーティング
横浜隼人は学校再開後の6月3日、グラウンドに3年生を集めて青空ミーティングを行った。
マスク姿の3年生たちは間隔を開けて、水谷監督の話に耳を傾けた。
生徒の前に立った指揮官は「無念じゃのぉ」と、選手たちの心情を受け止めた。
そして「技術の発表はできなくなったが心の発表はできる。
今こそ人間としての成長をみせるときだ」と勇気付けた。
今年の横浜隼人は、努力ができる選手たちが集まったチームだった。
甲子園大会は中止となったが、それぞれの戦いは続く。
夏を信じて、鍛錬を積んできた選手たちの思いは、グラウンドに刻まれる。
横浜隼人高等学校
【学校紹介】
住 所:神奈川県横浜市瀬谷区阿久和南1-3-1
創 立:1977年
甲子園:夏1回
創立当時は男子校だったが1987年に共学化。硬式野球部は2009年夏に甲子園初出場。部員は3学年で毎年100人を超え、全国最大級。OBに小宮山慎二(元阪神)、宗佑磨(オリックス)、佐藤一磨(オリックス育成)。