ベースボールのサムライ
田澤 純一 TAZAWA JUNICHI
【横浜商大高出身】
ワールドシリーズ制覇のセットアッパー
12年ぶり国内復帰
BCリーグ埼玉武蔵ヒートベアーズ入団
ボストンレッドソックスなどメジャーで活躍した田澤純一投手(横浜商大高出身)が今年7月、BCリーグ埼玉武蔵ヒートベアーズに入団した。
日本プロ野球のドラフトを受けずにメジャーへ渡ったため2年間はNPBでプレーできないが、BCリーグ参戦によって12年ぶりの国内復帰となった。
■前例なきチャレンジ
横浜商大高の剛腕が、12年ぶり国内へ戻ってきた。
田澤純一。道なき道を切り開いてきたサムライだ。
横浜商大高3年生時代にはエースとして活躍、夏の神奈川大会ではベスト4へ進出。
準決勝では、涌井秀章(楽天)擁する横浜と対戦して敗れたが、神奈川高校野球の歴史として刻まれている。
無限のポテンシャルを秘めた田澤は、高校卒業後に一度は一般企業への就職を考えたというが、新日本石油ENEOSから声がかかって社会人野球へ。
徐々に頭角を現すと、日本プロ野球だけではなく大リーグスカウトからも注目が集まった。
そして2008年秋、日本プロ野球ではなく、メジャーリーグ行きを選択する。
ドラフト候補選手が日本プロ野球を経由せず、ダイレクトでアメリカへ渡る前例なきチャレンジとなった。
■2013年ワールドシリーズ制覇
2009年にボストンレッドソックスに入団し、同年にはメジャー初勝利を挙げた。
怪我を乗り越え、先発、中継ぎとして実績を残すと、2013年にはセットアッパー田澤、クローザー上原浩治の「和製勝利の方程式」を確立し、ワールドシリーズ制覇の快挙を成し遂げた。
2013、2014年には2年連続で71試合に登板。
田澤は、結果が求められる海の向こうの世界で揺るぎない結果を残した。
2016年からはマイアミマーリンズ、デトロイトタイガースなどでプレー、近年はマイナー契約だったが、米国で11年間プレー。
ただ2020年は、コロナ禍でメジャーリーグがロックダウン。
日本に帰国し、次のステージを探っていた。
■今この場所で全力を尽くすだけ
いくつかの選択肢があった中で、田澤が選んだのは、BCリーグ埼玉武蔵ヒートベアーズだった。
田澤の場合は、NPBを経由せずにメジャー球団と契約したため、その後のルールで2年間、NPBでプレーできないことになっていた。
埼玉武蔵ヒートベアーズは、田澤に積極的にアプローチ。
東海大相模出身の角晃多監督はその都度、獲得への思いを手紙に綴って、田澤の返事を待った。
角監督は「神奈川の高校時代から知っていましたが、何よりも迫力のストレートが魅力でした。いまは多くの経験と実績を得て、さらに投手としての力が増しています。力がありながら(NPBで)プレーできないのは非常にもったいないと思いました。うちのチームでプレーしてほしいと思いました」と話す。
オファーを受けた田澤は「監督からのレターがすべてでした。先のこと(2年後のNPB)などは考えず、この場所で全力を尽くすだけです。僕自身、野球人生はもう長くないと思いますので、求められている場所でプレーしたいと思いました」と、新天地での意気込みを語った。
■新たなチャレンジにしたい
「NPBのドラフトを拒否して海外球団と契約した場合は、帰国後2年間NPBでプレーできない(大学・社会人は2年、高校生は3年間)」。
NPB田澤の渡米後に作られた規則は、「田澤ルール」と呼ばれている。
若い選手の“障壁”にもなっているが、田澤自身は「ルールがある以上、それには従わなければいけないと考えていますが、個人的にはルールがなくなってくれたらいいなと思います」と複雑な心境を話した。
田澤にとって12年ぶりの日本。
それは新たなチャレンジだ。
「日本で記者会見するのも、プレーするのも、12年前以来です。国や場所が変わっても、やることは同じだと思っています。(神奈川フューチャードリームス戦は)生まれ育った街でのプレーになりますが、埼玉や横浜のファンに、少しでも良いピッチングが見せられたらと思います」。
ベースボールのサムライは、その経験をBCリーグのマウンドで表現する。
【プロフィール】
1986年神奈川県生まれ。横浜商大高―新日本石油 2008年、日本プロ野球のドラフトを受けずにメジャー・ボストンレッドソックス入団。セットアッパーとして活躍し、2013年ワールドシリーズ制覇。2020年7月、BCリーグ埼玉武蔵ヒートベアーズ入団。