コロナ禍を乗り越えて
100周年の集大成へ
1976年夏に全国制覇を果たし、春夏計10度の甲子園出場の実績を持つ桜美林。
2018年秋に現場復帰した片桐幸宏監督とともに“集大成”へ進む。
2020年度11月号掲載
(取材・三和直樹)
■コロナ禍での夏
「何とも言えない1年でしたね…」。
秋が訪れたグラウンドに視線を送りながら、片桐監督は口惜しげに呟いた。
2018年秋に監督に復帰し、2019年夏に西東京ベスト4進出。
さらなる進化を目論んだ2020年だったが、日本全体がコロナ禍に見舞われる中、2月下旬の学年末試験終了後から野球部の活動がストップ。
4月からはWeb会議ツール『Zoom』を使ってミーティングを実施しながら個人でのトレーニングは続けたが、チームとしての連携は深められず。
ようやく6月15日に授業再開するも“密”を避けるための分散登校が続いたため、部員全員が集まれたのは6月末になってから。
練習試合を2試合やっただけで、最後の夏の大会に臨むことになった。
準備不足は他校も同じ。
1、2回戦は順調に勝利した。
しかし、3回戦で強豪・日大二と対戦して1対2の惜敗。
序盤に2点を失った後、7回に1点差としたが追い上げ切れずにゲームセット。
「やっぱり甲子園という目標がなくなった影響は大きかった。2月の時点で、いい形になりそうだなと思ったけど、そこから練習ができなかったからね。でもどうしようもないし、仕方がない。その割には良くやったと思う」。
引退した3年生たちを思いながら、片桐監督は息をついた。
■「練習量」と「経験値」
「練習量が足りない影響は新チームにも出ている」と片桐監督は言う。
夏休みの間は、朝7時半から練習を開始し、午前中には練習を終了。
部員全員が電車もしくは自転車で通学しているため、「なるべく電車がラッシュになる時間に帰宅させないように」と心がけた。
それ以外にも、手洗い、消毒の徹底に加え、着替える部屋を学年毎に分け、グラウンド整備用のトンボも消毒。
やることが増えた分、練習に費やせる時間は必然的に減った。
それでも中脇秀(2年)を中心に「我慢強い全員全力野球」を掲げ、時間を有効に使いながら汗を流し、連携を深めている。
前チームからレギュラーだったのは中脇のみ。
まだ手探りで「ポジションと背番号もバラバラ」(片桐監督)というチーム状態だが、秋のブロック予選は、国分寺に13対1で大勝した後、足立新田には6対5のサヨナラ勝ち。
投打ともに課題が出た中でも勝利をもぎ取り、現チームに足りない「経験値」を増やすことができた。
投手陣では「自分が引っ張っていきたい」と語る左腕・岸祥大(2年)が自慢の制球力と変化球に磨きをかけている真っ最中。
片桐監督は「涼しくなってきたので、またここから変わってくる」と秋以降のチームの急成長に期待を寄せている。
■「残り3年」と「100周年」
その片桐監督は、今年の12月に62歳となる。
「あと3年もすれば定年退職になる。私にとっての高校野球はあとわずかしかない」と残りの年数を意識しつつも、ノックは今も自身が打つ。
そのために日々のトレーニングはかかさない。
指導者として全うするため体力維持に努めるが、定年までの時間は変えられない。
そして「甲子園に行く」という目標も変わらない。
桜美林学園としては、来年2021年に創立者・清水安三が中国に前身の崇貞学園を創立してから100周年目を迎える。
「全員全力野球。うちは飛び抜けた能力を持った選手がいるわけじゃない。全員が全力で、全員が力を合わせて、全員でチームを作る。全員がやってもらわないと勝てない」と片桐監督。
withコロナの新時代、伝統の桜美林による「全員全力野球」が、新たな100年の幕開けを告げる。