1965、67年夏に2度の甲子園出場
創部101年目、少数精鋭で「古豪復活」へ
1965、67年夏に2度の甲子園出場を果たした鹿沼商工。2020年に創部100年目を迎えたチームは、少数精鋭で復活を狙う。
■甲子園の栄光の記憶
鹿沼商工は、鹿沼農商時代の1965、67年夏に甲子園出場を果たしている。甲子園で白星を挙げることはできなかったが、地域には甲子園の栄光の記憶が残っている。全国的に私学すう勢に傾いている状況で2007年夏、2008年春、2009年夏にベスト8へ進出するなど力を維持してきたが、2010年以降は3回戦が最高。最近3年は私学強豪の壁に行く手を阻まれてしまっている。そんな背景で、部員が次第に減少。今年の3年生は9人、2年生は6人。学校の1学年のクラス数が7クラスから4クラスに減り、野球部員の確保も難しくなっている。
2018年春から指揮を執る金子安行監督は「部員は減っていますが、鹿沼商工にきてくれた選手たちを鍛えるだけです。どんなに人数が多くても試合に出られるのは9人。不可能ではないと考えています」とノックバットを握る。
■2020年に創部100周年
金子監督は、かつて鹿沼商工を率いたあとに宇都宮商へ着任し、2012年秋の関東大会で4強入りして2013年春の選抜出場を成し遂げている。それが栃木の県立高校では“最後”の甲子園になっている。公立から甲子園へ行くルートを知る指揮官は「宇都宮商時代の選抜大会で、ベンチから見た甲子園のバックスクリーンの壮大さが忘れられません。いまの生徒たちにも甲子園をみせてあげたいと思っています」と指導に専念する。選手たちは、指揮官の言葉を道標に、遥かなる甲子園への道を突き進む。鹿沼商工は2020年に創部100周年を迎えた。101年目となった今、チームは新たな一歩を踏み出さなければならない。
甲子園への道は、より険しくなっているが、道を切り拓こうとする作業に価値がある。
■大黒柱はエースの廣瀬
今年のチームは魅力的だ。チームの大黒柱となるのは、エースで4番の廣瀬裕都(3年)。
投打にセンスをみせる廣瀬は、鹿沼商工出身でプロ野球ヤクルト、オリックス、楽天でプレーした小倉恒氏の親戚にあたるサラブレッド。マウンドでは、変幻自在のフォームから、威力あるストレートと、鋭く落ちるツーシームを投げ込む。金子監督は「投手陣は、廣瀬が大崩れしないため、打撃がもう2段階くらいレベルアップすれば私学とも十分に戦えるはず」と、打撃強化に乗り出している。昨夏の独自大会は2回戦で佐野日大に屈し、昨秋は文星芸大附に敗れている。強豪の壁を越えない限りは、トーナメントを駆け上がることはできない。松元勇翔主将(3年=内野手)は「ピッチャーの廣瀬を中心に戦えるチームになってきました。食らいついていって接戦をものにしていきたい」と夏へ向かう。101年目を迎えるチームにとって、今年はターニングポイント。古豪復活の鐘を鳴らすのは今だ。