【レジェンドインタビュー】走攻守3拍子揃ったユーティリティー 現在は高校野球指導者として経験伝授 鈴木康友(元巨人、西武、中日)

「何事も基本が大事。基本なくして応用なし」

走攻守3拍子揃ったユーティリティープレーヤーとして巨人、西武などで活躍した鈴木康友氏。現在はプロ野球解説者として多岐に活躍する傍ら、立教新座高校(埼玉)で外部コーチとして高校生を指導するレジェンドに、球児へのメッセージを聞いた。

■甲子園春夏4度出場の思い出

―高校生のときは天理高で甲子園に4度出場しています。  

「高校進学のときはいくつかの名門校から声をかけてもらいまして、実際に練習を見学に行きました。天理(奈良)は練習の雰囲気も良くて、自分に合っていると考えました。高校球児が甲子園に行けるのは、最大で5回です。5回甲子園に出場したのは桑田、清原時代のPL学園、早稲田実業の荒木大輔など限られています。僕は、1年生の夏から甲子園に出て、3年生の選抜まで出場しました。でも、最後の夏に智弁学園に負けてしまって甲子園に行くことができませんでした。4回出場には、悔しさが残っています」

 

―3年生の選抜では甲子園でホームランを放っています。

「作新学院戦でバックスクリーンにホームランを打ちました。ただ、それよりも記憶に残っているのは準々決勝・中村戦の敗戦です。中村(高知)は12人しかいないチームでしたが、選手たちのプレーに優しさがありました。僕がショートを守っていたら、2塁ランナーが自身のリードオフの足跡を手でならしてくれていたのです。戦っていて、気持ちの良い相手だったのです。そんなゲームで、僕に甘さがあったのか、2塁ベースへの自分のタッチがゆるくなってしまって、セーフにしてしまいました。そこからリズムが崩れて負けてしまいました。あのプレーはいまでも考えることがありますね」

 

―3年生の最後の夏だけ甲子園に行けなかったのですね。  

「3年生の春の選抜で負けたとき、また夏に甲子園に来るからと考えて、甲子園の土を持って帰ってこなかったのです。だから、僕の家には甲子園の土がありません。いま高校生が甲子園の土を袋に詰めるシーンを見ると、毎回、自分自身の最後の夏を思い出します」

 

■野球は基本がすべてABCを覚えよ

―いま立教新座で指導していますが、高校生に伝えていることは?

「基本のABCです。現役引退後に、巨人、西武、楽天などで守備・走塁コーチをやっていたのですがプロでも基本を大事にしていまして、それがすべての土台になっていきます。高校生にも、A:当たり前のことを B:馬鹿にしないで C:ちゃんとやれと、まずは伝えています」

 

―具体的には?

「たとえばイチロー選手(元マリナーズ、ヤンキース)の1塁への走塁です。内野安打の多さは、彼の走塁にあります。どんな体勢からの打撃でも必ず左足でベース右端を踏んで駆け抜けています。あれだけの内野安打があれば普通であれば空足を踏んだり、踏み外したりするケースもあるのですが、それがないんです。左足で確実にベースを踏むことで、ケガ防止にもつながっていきます。あごを上げて右足で踏んだら、相手の送球が逸れたときにケガの危険性があります。あの走塁は、基本を積み重ねた結果です。高校生には一つひとつのプレーを追求してほしいと思います」

 

―1塁走塁は大事でしょうか?  

「1試合で1塁ベースを何度踏みますか、ということです。いまは、本塁や2塁のクロスプレーがコリジョン(衝突)ルールで守られています。本塁突入やダブルプレーの2塁での接触でのケガは少なくなっています。1塁ベースを左足で踏めば、バランスが崩れても右足で支えることができます。右足で踏んだら、支えられずに転倒する可能性があります。細部まで追求すると野球の本質が見えてきます」

 

―練習に求めることは?  

「高校生は、練習時間が限られていますし、いまはコロナ禍でさらに制限がかかっています。グラウンドだけでなく自宅でのトレーニングも必要になるでしょう。自分に勝てるかどうかも力になります。その中で、一球一打を大事にしなければなりません。その集中力が試合での一打席につながっていきます」

 

■命を繋いでもらったことに感謝

―2017年に「骨髄異形成症候」と診断されて、療養、回復に至りました。  

「2017年に、四国アイランドリーグ・徳島インディゴソックスコーチ時代に『骨髄異形成症候群』と診断されて、闘病生活に入りました。2018年に臍帯血移植を受けました。僕の体には、当時2歳だった子供の血が入っています。それによって血液型はO型からA型になりました。免疫が一度なくなっていますので、肺炎球菌ワクチンなどこれから打っていく予定です。いまは、命を繋いでもらっていると感じています。それからは、すべてに対して感謝の気持ちが生まれています」

 

―2019年に白血病を公表した水泳・池江璃花子さんも回復して活躍しています。  

「池江さんは2019年2月に白血病を告白し、約2年間、治療を行い、日常生活だけではなく、アスリートとしても復活しました。2021年4月に日本選手権で優勝し、オリンピックメンバーに内定したことは僕も勇気をもらいました。僕自身、闘病から回復、リハビリを経験してきましたので、今後は社会、そしてスポーツ界に恩返しをしたいと思っています」

 

―球児にメッセージをお願いします。

「3年生にとっては集大成になると思いますが、まずは高校野球の舞台を楽しんでほしいと思います。消極的なプレーは後悔につながるので、勇気を持ってチャレンジをしてほしいと思います。勝負なので勝敗がありますが、勝っても負けても、仲間とともに努力してきた道のりは変わりません。これまでサポートしてきてくれた家族や仲間への感謝を忘れず、グラウンドに立ってほしいと思います」

 

 

鈴木康友(すずき・やすとも)

1959年7月6日奈良県生まれ。天理ー巨人ー西武ー中日ー西武。天理高校時代は計4度の甲子園出場。高校卒業後に巨人へ入団し、その後、西武、中日でも活躍し、計7度の日本一に輝いている。1992年で現役引退し、巨人、西武、楽天、ソフトバンクでコーチ。現在は解説業の傍、立教新座高でコーチ。

 

 

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