「高校時代が野球人生の土台になった」
ロッテ一筋17年の打撃アーティスト
初芝 清(二松学舎大附―東芝府中―ロッテ)
二松学舎大附出身の元プロ野球レジェンド初芝清氏。ロッテ一筋17年、プロ通算232本塁打、1525安打をマークした打撃アーティストだ。多くのファンから愛された初芝氏が高校時代の思い出を語り、球児にメッセージを送る。
■二松学舎大附で学んだこと
―二松学舎大附出身ですが当時の思い出は?
「自分が中学3年生のときに2学年上の先輩たちが選抜大会で準優勝をしました。入学が決まっていたので甲子園に行って全試合を観戦しました。自分が入学するチームが甲子園で準優勝するとは思ってもみませんでした。決勝ではPL学園に敗れて優勝することはできなかったのですが、先輩たちの活躍は大きな刺激になりました」
―準優勝チーム時のエースは、現二松学舎大附の市原勝人監督です。
「“我が道を行く”タイプのエースでした。自分が1年生のときの3年生だったので話す機会は少なかったのですが、僕も当時はピッチャーだったので、よく話しかけてもらって面倒をみてもらいました。自分が話した言葉は『はい』『分かりました』『存じません』くらいだったと思います(笑)」
―市原監督はどんな練習をしていたのでしょうか?
「ストイックに練習に取り組んでいました。朝・晩は寮の食堂で腹筋や背筋をずっとしていて、僕も一緒にやらされていました(笑)。自分が努力したというよりは、市原さんについていった感じです。僕は右も左も分からないまま寮に入ったのですが、高校野球の原点を教えてもらった気がしています。市原さんが引退したあとには、自分自身で継続してやっていかないと甲子園にはいけないと感じました」
―監督は名将・青木久雄氏でした。
「入学から高校2年の秋まで、青木監督の指導を受けました。グラウンドでは厳格な方だったのですが、グラウンドを出ると気さくに話しかけてくれる監督でした。僕らが3年生になったときに青木監督は日大三の監督になり、春大会で対戦して完敗しました。戦ってみて、青木監督の凄さを改めて知りました(笑)。青木監督から教えてもらったのは『感情や痛みを表に出すな』ということです。どんな状況でも冷静にプレーしろという意味だったと思いますが、その言葉はプロになってからも響きました」
■高校時代の厳しさがプロへつながった
―高校時代に学んだことはありますか?
「年功序列の上下関係や挨拶、礼儀などすべてです。厳しかったのですが、すべてが野球につながっていく“厳しさ”でした。日常生活の厳しさが、グラウンドでのきっちりとしたプレーにつながったと思います。今は時代が変わっていますが、あの厳しさがあったからこそ自分は成長できたと思っています」
―高校3年生の夏の結果は?
「東東京大会で決勝戦まで進みましたが日大一に負けて準優勝となり、甲子園には届きませんでした。その年の春に、岩倉が選抜で全国制覇を果たしていたのですが、僕らは4回戦で岩倉と対戦して9対7で勝ちました。全国優勝の岩倉に勝ち、準決勝で帝京にコールド勝ちしたことで舞い上がってしまい、『これで甲子園へ行ける』という雰囲気になってしまいました。慢心があったのか決勝では日大一に負けてしまいました。苦い思い出として記憶に残っています」
―二松学舎大附卒業後に社会人・東芝府中でプレーしました。
「高校のときはプロ一本でいこうと思い、就職も決めずにプロからの指名待ちをしていました。残念ながら指名をもらえずに、最後は東芝府中に拾ってもらった形でした。東芝府中では入社1年目の夏から4番を任されたのですが、期待の反面、チャンスを逸したときはすごく怒られました。大事な場面で打たなければいけないというプレッシャーが自分を精神的にも成長させてくれました。そして4年後にロッテから4位指名を受けました」
―東芝府中で努力したことは?
「当時の東芝府中の練習は、本当にハードで野球に対する心構えを叩き込まれました。高校時代とは雲泥の差でした。1989年にプロに行ったのですが、『プロはなんて楽な練習なんだろう』と感じました(笑)。僕は体が強く、どんな練習でも耐えられました。『無事之名馬(ぶじこれめいば)』という言葉がありますが、やはり体が資本だと思います」
■座右の銘は『我信』
―二松学舎大附出身の選手が活躍しています。
「出世頭は、カージナルスの鈴木誠也選手です。彼が広島に入団した1年目の春にキャンプ地が一緒になり、挨拶に寄ってみました。室内練習場で一人黙々と練習していて、僕に気づいてダッシュで来てくれたのは覚えています。さすが二松学舎大附出身だと思いました。巨人の秋広優人選手なども活躍していますし、後輩たちの活躍は楽しみです」
―野球から学んだことはありますか?
「野球は、個人競技ではなく団体競技であるということです。自分以上に、周囲に気を使わなければいけません。野球はひとりではできませんし、チームとして一つにならないと勝てません。それが野球の魅力であり、難しさだと思います」
―球児に伝えたいことは?
「現役時代から座右の銘は『我信』です。我を信じるという造語なのですが、自分を信じて努力することがすべてだと思っています。いまの高校生は、多くの情報が得られる時代ですが、こだわりを曲げてほしくないですね。周囲の言葉やアドバイスをしっかりと受け止めながらも、こだわりを磨き上げてほしいと思います。こだわりを追求した先に成功が待っていると考えています」
PROFILE
初芝 清(はつしば・きよし) 1967年2月26日東京都生まれ。二松学舎大附―東芝府中―ロッテ。二松学舎大附時代は、市原勝人監督(現二松学舎大附指揮官)の2学年後輩。社会人を経て1989年にロッテ入団。ロッテ一筋17年でプロ通算232本塁打、1525安打。1995年パ・リーグ打点王。