秋季都大会優勝、来春の選抜当確
泥臭く、しぶとく戦うことが大切だ
秋季都大会決勝で二松学舎大附が早稲田実に勝利して21年ぶり3度目の優勝を果たした。1996年から指揮を執る市原勝人監督は試合後、選手たちの健闘を称えて、イマドキ世代の選手たちの指導法に言及した。
◾️21年ぶりの勝利は感無量
秋都大会決勝は延長タイブレーク12回の死闘だった。我慢の戦いを続けた二松学舎大附は、早稲田実に6対5でサヨナラ勝利。来春の選抜出場を確実にした。二松学舎大附出身の市原監督は現役時代、サウスポーエースとしてマウンドに立った。43年前(1981年)の秋都大会では決勝戦でエース荒木大輔を擁する早稲田実と対戦して、惜敗した記憶があるという。
「僕が高校2年生の秋に早実と決勝で戦って、自分と荒木が投げ合う中で9回2死まで4対2で勝っていたのですが、そこから逆転されてしまいました。結果的には準優勝のうちも選抜に出場できたのですが、決勝戦の悔しさは今でも残っています。今年の勝利は感無量です」
秋都大会決勝は5連敗中だった。指揮官はかつての取材でこう答えていた。「負けることは恥ずかしいことではない。自分たちは何度負けても、はい上がれる力がある。それが二松の誇りだ」。敗戦がチーム、そして指揮官自身を強くしていった。
「私自身は夏の決勝で10度連続で負けていましたが、秋の決勝でも負け続けていました。今回も苦しいゲームになると思いましたが、選手たちが執念をみせてくれたと思います」
序盤は劣勢だったが終盤に同点に追いつき、タイブレークに突入した。二松学舎大附は、今夏の甲子園にも出場した試合巧者・早実のタイブレークの攻撃を3イニング無失点で抑えた。
「苦しい展開が続きましたが、タイブレークは1回、2回と抑えていくと不思議と守れるような気になっていくのです。ただ、攻撃で点が入らないと、入らない気がしてくるし…。タイムリーが出る気がしなかったですし11回が終わった時点で、どうやったら点が入るのだろうかと考えてしまいました」
そして12回裏、1死満塁から根本千太郎のスクイズによって劇的なサヨナラ勝利となった。
「早実は力のあるチーム。うちのピッチャーのボールが先行してストライクを取りに行った球を確実に捕えてきていた。タイブレークではミスが出たほうが負けかなと思っていましたが、なんとか踏ん張ることができました。最後のスクイズは、タイムリーが出るとは想像できなかったので切り替えていきました。最後は、運もあったと思います。大事なゲームで、早実もうちもだれかのミスでゲームが決しなかったのは(選手にとって)良かったと感じました」
◾️強豪3校に勝利して優勝旗
今大会では準々決勝で日大三、準決勝で帝京、決勝戦で早稲田実に勝利。東京を代表する強豪に勝利しての優勝は価値がある。
「準々決勝からは三高、帝京、早実との対戦となったので、簡単ではありませんでした。この3校に勝利しての優勝は嬉しいです」
二松学舎大附は2021年夏から2023年春まで4季連続で甲子園出場。黄金期到来かとも言われていたが、2023年夏から甲子園切符をつかむことができていない。
「4季連続で甲子園に行って、そのあとの選手たちにはプレッシャーもあったでしょうし、勝つことが当たり前になったのかもしれません。勝ち続けたことで謙虚な気持ちが薄れたかもしれませんし、選手は頑張ってくれましたが、私自身がそういう状況をまとめていくことがなかなか難しかったです。今季のチームは、先輩たちの苦しみを見てきた世代なので、先輩たちの思いも背負って戦ってくれたと感じます。泥臭く、しぶとく戦うチームになったと思います」
◾️イマドキ世代の指導法
時代の変遷、コロナ禍などを経て選手の気質が変わったとも言われる。指揮官歴28年の市原監督はイマドキ世代の選手たちをどのように指導しているのだろうか。
「イマドキ世代の選手たちをコントロールするのがすごく難しいと感じます。決勝戦でも序盤に劣勢になって、チーム全体が“しゅん”となってしまったところがあったので、ベンチで発破をかけたのですが、本当に“しゅん”となってしまって(苦笑)。次は、おだてていって…それを“行ったり来たり”してやっていました。ただ試合中盤以降に、スタンドの応援の雰囲気などを受けて盛り上がってくると、こちらが何も言わなくても、選手たちが勝手に動き出してくれるのです。そのあとは、私は何も言っていません。(その意味では監督として)力不足なのかもしれませんね。1点ずつ奪って、相手を抑えるごとに選手たちの表情に自信が芽生えて、チームが変わっていきました。監督の仕事は選手の成長を見守ることかもしれません」
タイブレークのベンチでは、温和な表情の市原監督が選手たちを見守っていた。「今夏の甲子園で関東一が準優勝になったので、選抜のチャンスをもらえたら日本一を狙っていきたいと思います」。指揮官は神宮球場で選手たちの手によって宙に舞った。
市原勝人監督
1965年生まれ。二松学舎大附−日本大−NTT信越。現役引退後に母校コーチを経て1996年に監督就任。2002年の選抜甲子園出場を皮切りに春夏10度の甲子園出場。2021年夏から4季連続で甲子園出場。