今秋大会、55年ぶりベスト4進出。
横須賀地区から悲願の初甲子園へ
今秋大会で55年ぶりのベスト4進出を果たした三浦学苑。
樫平剛監督就任8年目、飛躍を遂げるチームは横須賀初の甲子園出場へ「結束」する。
(取材・伊藤寿学)
■ 秋大会に強烈なインパクト
今秋の神奈川に強烈なインパクトを残した。
横須賀地区の雄・三浦学苑がトーナメントで進撃をみせた。
簡単な試合は1試合もなかったという。
地区予選1位で本大会へ出場したチームの初戦(2回戦)の相手は、公立強豪の白山だった。
能力の高い選手たちが集まる白山相手に11対3で快勝すると、3回戦では、樫平監督の母校で、今夏準優勝の日大藤沢と激闘を繰り広げた。
序盤から撃ち合いとなったゲームは3対5で迎えた3回表に三浦学苑が打者一巡の猛攻で一挙7点を奪い5回時点で11対7とリードで、後半戦へ向かう。
三浦学苑は日大藤沢の反撃をギリギリのところでかわし乱打戦の末に12対11で破った。
■ 関東大会出場目前で敗戦
勢いに乗った三浦学苑は4回戦で平塚学園を7対0で下してベスト8進出を決めると、準々決勝では、立花学園にも3対0で勝利。
実に55年ぶりのベスト4入りを果たした。
快進撃の立役者となったエース長谷川翔(2年)は、立花学園戦で6回までパーフェクト投球をみせた。
長谷川は「守備を信頼して投げた結果が、勝利につながった。
チームとして戦うことができた」と振り返る。
四強入りしたチームは、関東大会出場権をかけて準決勝で桐光学園と激突、2回に塩崎拓哉(2年=外野手)の2点本塁打などで3点を奪い、ゲーム序盤は3対1でリードしたが、終盤に力尽きて3対11で敗れた。
樫平監督は「準決勝では一時逆転しながら最後は経験の差が出てしまった。
関東大会には行けなかったが、選手たちが新しい景色をみせてくれた」と手応えをつかむ。
左から阿部朝陽(2年=遊撃手)塩崎拓哉(2年=外野手)立川太一 主将(2年=捕手)長谷川翔(2年=投手)小泉翼(2年=外野手)
■ すべては甲子園出場のため
樫平監督は、コーチとして他校で4年間指導したのち2011年三浦学苑に着任、1年間コーチを務め、翌2012年から監督として指揮を執る。
三浦学苑の甲子園出場のため、この地域に骨を埋める覚悟で家族とともに横須賀に住み、選手たちの指導にあたっている。
記憶に残るのは、2015年夏に勇退が決まっていた名将・渡辺元智元監督率いる横浜と対戦し0対7で敗れたこと。
力の差を痛感したというが、ドラフト候補の本格右腕・渡邉倫太朗(3年)を擁した2019年夏4回戦は、横浜と対戦して1対3の好勝負を演じてみせた。
樫平監督は「横浜とのあの2試合から、大きな力をもらった気がしている」と話す。
■ 終わりではなくスタート
三浦学苑のスローガンは「結束」。
樫平監督が就任まもなくの時期に掲げたもので、選手、チーム、学校、地域とのつながりの大切を求めている。
そしてモットーは「野球を通じて社会で通用する人間になること」。
礼儀を重んじる指揮官は、人としての土台を作った上に、野球の技術を積み上げている。
学校着任当時は実績のないチームだったが、選手たちとともに一歩一歩、階段を登ってきた。
樫平監督は「自分たちで作り上げてきた自負がある。
秋はベスト4に入ることができたが、これは終わりではなくスタート。
学校初、横須賀地区初の甲子園出場のために、三浦学苑のプライドを持って戦っていきたい」と語る。
選手たちは、三浦の苑から、力強く聖地を目指す。
【監督プロフィール】三浦学苑・樫平剛監督
1984年神奈川県生まれ。
日大藤沢-日大国際関係学部(静岡)。
高校・大学ではいずれも主将。
日大藤沢コーチを経て三浦学苑へ。
1年間のコーチ後、2012年に三浦学苑監督就任。
今秋県大会ベスト4進出。
三浦学苑高等学校
【学校紹介】
住 所:神奈川県横須賀市衣笠栄町3-80
創 立:1929年
甲子園:なし
創立90周年を迎えた横須賀の私立伝統校。
文武両道の精神に則り、部活動が盛ん。
野球部のほかサッカー部、陸上部、弓道部、女子バレー部、軟式野球部などが神奈川強豪。