健大高崎・佐伯幸大 応援団長を覚悟した春から、夏の大舞台へ。中学時代からの戦友・佐藤龍月と共に戦う「最後の夏」
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健大高崎・佐伯幸大 

応援団長を覚悟した春から、夏の大舞台へ。中学時代の同級生・佐藤龍月と共に戦う「最後の夏」

 

 

健大高崎の生粋のムードメーカー佐伯幸大(3年)がパンチ力ある打棒で群馬大会制覇に貢献した。準決勝の農大二戦で2安打3打点の活躍をみせるなど存在感を発揮し優勝に欠かせないピースとなった。

 

春大会後にスランプ、関東大会ではメンバー外

 

「春大会後、夏はハチマキを巻いてスタンドで声を出すことを覚悟していました」

 

群馬大会優勝後、佐伯はホッとした表情をみせた。

 

昨秋県大会では4番に座るなどパンチ力ある打撃で新チームの軸となった。ベスト4となった今春のセンバツでも4試合中2試合に先発出場し、下位の中核として打線のアクセント役を担った。

 

だが春県大会後にスランプに陥った。そして関東大会のメンバーから外れた。

 

「自分はうまい選手ではないのでスランプという表現は合っていないと思いますが、ぜんぜん打てなくなってしまって・・・。関東大会のメンバー外になったときは、夏の応援スタンドを完全にイメージしていました」

 

佐伯が抜けた外野メンバーに入ったのは、中学野球・東京城南ボーイズのチームメイト佐藤龍月。昨春のセンバツVの左腕エース、昨夏に左ひじを負傷しトミージョン手術。リハビリを経て春にはまず打者として復帰した。

 

「バッターとしても龍月が上なので、自分はチャンスが来たときに結果を残すだけだと思っていました」

 

結果を残すしかない、佐伯は関東大会後、一打席一打席にすべてを懸けた。そして、夏直前に調子を戻して登録メンバーに滑り込んだ。佐伯の背番号は「17」、佐藤は「7」となった。

 

 

中学からのチームメイト佐藤龍月と共に戦う甲子園

 

佐伯と佐藤の出会いは、小6のジャイアンツジュニア時代。最初のミーティングでほかのチームメイトに「あっちにイケメンがいるから一緒に行こう」と言われて、その場にいたのが佐藤だったという。そして東京城南ボーイズで3年間プレーした。

 

3年前。中学生だった佐伯は、早い時点で健大高崎入学を決めた。中学時代に実績を残した佐藤は、全国40校以上から声がかかっていたが進路は定まっていなかった。中3の秋深くになって、佐藤が健大高崎を選んだことを知った。

 

佐伯は「龍月とは中3の秋に一緒に健大の施設見学に来ました。自分はすぐに決めましたが、龍月はいろんな学校から声がかかっていたので正直、ほかへ行くんだろうなって思っていました。だから、健大に来るって聞いたときは『えっ!』って感じで、嬉しい驚きでした」と振り返る。

 

高1の寮は同部屋になり、多くの夢を語り合いながら切磋琢磨した。

 

佐藤は「(佐伯は)いつも明るくて、自分が元気ないときにいつも声をかけてくれます。元気ないときは、そんなにないですけど(笑)。小6から知っているので、なんでも言い合える仲です」と同じグラウンドに立つ。

 

群馬大会決勝・前橋育英戦では、佐伯がレフトで先発。佐藤は3対3で迎えた6回から2イニングでマウンドに立ち無失点で、8回から登板した石垣元気へつなげた。

 

「緊迫した場面での登板は龍月も久しぶりだったので、レフトから『いつもどおり投げれば大丈夫だ』って声を飛ばしていました。歓声がすごくて多分、声は届いていなかったと思いますが、自分はそういう声を送っていました」

 

健大高崎は決勝戦で延長タイブレークの激闘を4対3のサヨナラ勝利で制して2年連続5回目の甲子園出場を決めた。4季連続の甲子園出場だ。

 

春のセンバツは、共に外野手としてメンバー入りしたが、今夏は、レフト佐伯幸大、ピッチャー佐藤龍月として甲子園の大舞台に立つ。

 

「龍月と一緒にまた甲子園へ行けることはうれしいですし、健大の仲間たちと1試合でも多く試合ができるように一戦一戦を戦っていきます。その中で自分の役割を果たしていきたい」

 

 

応援団長を覚悟したどん底の春から、歯を食いしばって這い上がってきた。センバツ後、逆境に負けず愚直にバットを振り続けた背番号17が、この夏、再び甲子園に戻ってくる。

 

 

(伊藤寿学)

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