鈴木 健(元西武-ヤクルト)
「自分で考えることがすべて」
多くのファンに愛された強打者。
高校通算83本塁打 浦学のレジェンド
浦和学院からドラフト1位で西武へ入団した鈴木健氏(元西武-ヤクルト)。
プロ野球で20年間プレーした強打者が自身の高校時代を踏まえて球児にメッセージを送る。
■浦学初の甲子園出場
-高校時代を振り返って。
「僕らの時代の浦和学院は、ちょうど野球部に力を入れ始めた時期でアットホームなチームでした。
当時の浦学はだれも知らないようなチームで、入学した1年生の夏、秋ともに1回戦負けでした。
冬にみんなで頑張って練習して、2年生の春にいきなり優勝して、そのまま夏も優勝して浦学初の甲子園出場を決めました」
-実績のない高校を選んだ理由は?
「野本喜一郎監督の存在がまずありました。
その中で周辺シニアチームの力のある選手がみんな浦学へ進学することになり、その仲間たちと一緒に、浦学を強くしたいと思うようになりました。
都内や埼玉、神奈川の強豪校からのお誘いもいただいていたのですが、新しいチームでチャレンジしたいと思いました」
-どのような雰囲気の野球部だったのでしょうか?
「当時の甲子園強豪校はどのチームも厳しかったと聞いていますが、当時の浦学は野本監督の方針で先輩・後輩の上下関係もなく、のびのびと練習させてもらいました。
もちろん言葉使いや礼儀などはしっかりしていましたが、プレーしやすい環境でした。
どちらかと言えば、“いま”の野球部に近かったかもしれません」
-高校通算83本塁打を放った理由も、そういうところにあるのでしょうか?
「それはあるかもしれません。
先輩に説教されたこともないですし、説教とかする時間があったら、練習した方が有意義ですから。
あとは1年生のときから試合に出させてもらったことが大きな経験になったと思います。
僕らが3年生になっても、下級生には同じように接していました」
■ウエイトトレで飛距離アップ
-高校時代に印象に残っていることは?
「1年生の秋に初戦敗退して2年生の春に県大会で優勝したのですが、その間の冬の練習が一番、印象に残っています。
走り込みや体づくりとかではなく、監督の指示を仰ぎながら、みんなで技術練習を重ねました。
それによって選手個人の力が上がって、投打においてチーム全体がレベルアップしていきました」
-初めての甲子園はどんな思い出がありますか?
「すごく広いイメージを持っていましたが実際にグラウンドに入ってみると、意外に狭いと感じました。
当時は両翼にラッキーゾーン(両翼91メートル)があったのも、そう感じた理由かもしれません。
ただ、実際にプレーしてみると、やはり広さを感じました」
-甲子園ではホームランを打ちました。
「打った瞬間は確実に入った手応えがあったのですが、甲子園の浜風でかなり流されていって、結果的には入ったのですが、甲子園の怖さを感じました。
そのときの投手は、のちに日本シリーズで対戦した岡林洋一(元ヤクルト)さんでした」
-高校3年生時には2度目の甲子園出場を果たしました。
「高校3年生になったときは甲子園で勝つという目標に加えて、上(プロ)の世界で野球をしたいと考えるようになっていきました。
体が大きくなって飛距離が伸びるにつれて、ホームランの数がどんどん増えていって野球がさらに楽しくなっていきました」
-どんなトレーニングをしたのでしょうか?
「浦学にはウエイトリフティング部があってトレーニングマシーンがあったので、自主的に借りて筋トレをしていました。
当時はまだ筋トレをしている高校生はいなかったと思いますが、筋トレを取り入れたことで一気に飛距離が伸びたことを覚えています。
やらされたのではなく、自分で取り組んだことが成果につながったと考えています」
■野球は「自分の感覚」が重要
-監督から教えてもらったことは?
「何も言われてないんです(笑)。
周囲には『あいつは自由にやらせておけ』と言っていたようです。
自分で考えてやれというメッセージだと捉えていたので、どうしたら打てるか、逆方向に打つにはなど、自分で考えながらバッティング練習をしていました。
自分で考えるという部分は、プロに入ってから生きてきたと思います」
-西武からドラフト1位指名され高校卒業後はプロの道へ進みました。
「当時の西武は黄金時代で石毛さん、清原さんやデストラーデがいて、2軍で4割を打って、首位打者になっても1軍から呼ばれませんでした。
当時の指導者からは『いつかチャンスが来るから、あきらめずにプレーしろ』と教え込まれました。
あの経験がその後のプロ生活につながっていったと思います。
西武で15年間プレーし、その後にヤクルトへ移籍してトータルで20年間、プロ野球という場に身を置くことができました。
成績は満足できるものではなかったですが、20年間、大きなケガもせずプロでプレーできたのは、自分の誇りかなと思います」
-高校野球、プロ野球の経験を踏まえて、球児にメッセージをお願いします。
「野球は、投げるのも、打つのも、選手自身の“感性”です。
選手はそれぞれ、背丈や運動能力が違いますので、フォームやポイントに正解はありません。
コーチからのアドバイスをヒントにして、最後は自分でフォームを固めて、打てるポイントを見つけていなかければなりません。
打席に入ったらだれも助けてくれないので、自分の感覚を身につけることが必要になると思います。
いま、野球教室などで子どもたちに指導するときも『自分で考えないと、うまくならない』と伝えています。
それは自分が、高校時代に教えてもらったことなのです」
【プロフィール】
1970年埼玉県生まれ。
浦和学院出身。
高校通算83本塁打をマークしドラフト1位で西武へ入団。
15年間プレーした後、ヤクルトへ移籍。
プロ20年間で通算1446安打。