【レジェンドインタビュー】「後悔先立たず。  この瞬間を全力で」サイドスローの伝説クローザー 鈴木 平

サイドスローの伝説クローザー オリックス時代はイチロー選手と一緒にプレー
鈴木 平(元ヤクルト - オリックス - 中日 - 福岡ダイエー)

「後悔先立たず。

この瞬間を全力で」

現役時代はサイドから力強いストレートを投げ込み、オリックスの日本一にも貢献した鈴木平氏。

現在は整体師となり、地元の球児を支える伝説のクローザーが高校球児にメッセージを送る。

(取材・栗山司)

■まさかのサヨナラ負け

-東海大一(現東海大静岡翔洋)時代の一番の思い出は?

「勝った負けたということよりも、とにかく練習がきつかった思い出の方が強いです。

寮で生活していたのですが、朝起きて、すぐに全員で近くの浜辺を走るんです。

三保の松原(景勝地)までの片道約2キロを往復。

夕方の練習も、グラウンドを10週することから始まりました。

当時は『こんなの無茶苦茶だよ』って思いましたが、その土台があったから、プロでもやっていけたんだと思います。

足腰が鍛えられました」

-高校の時はどんなピッチャーでしたか?

「オーバースローで、スピードは140キロくらい出ていたと思います。

ただ、変化球はカーブだけ。

周りも今のように、スライダーやフォークを投げるピッチャーはほとんどいませんでした。

私が特徴的だったのは真っすぐがナチュラルに変化していた点でした。

手のひらとボールの間に隙間がある独特の握りをしていた影響もあったのでしょう。

現代で言うなら、ツーシームのようなボールでした」

-高校3年夏は、県大会の準々決勝で敗れました。

どんな試合だったのですか?

「この準々決勝・東海大工は『事実上の決勝戦』と言われた試合で、気持ちも入っていました。

試合展開としては、9回表まで4対1で勝っていました。

ですが、その裏にエラーが絡んでしまい、一挙に4点を失ってサヨナラ負け。

終わった瞬間は悔しくて、マウンドでグラブを投げつけました(笑)。

この試合に勝っていたら甲子園に行けたと今でも思いますが、これも運命だったんでしょうね」

-鈴木さんが高校3年間で得た財産とは?

「3年間、一緒に苦しい思いを経験した仲間は、かけがえのない財産です。

今でも何かあれば助けたり、助けられたり。

いい仲間と出会うことができました」

■プロ入り後サイドスローへ

-プロ入り2年目に腕の位置を下げてサイドスローに転向します。

どんな理由があったのですか?

「私が入団したヤクルトには、内藤尚行さん、高野光さん、荒木大輔さん、川崎憲次郎など、右のいいピッチャーがたくさん揃っていました。

だから同じように投げていたら勝負にならないと思ったんです。

そこで、自らの意思で腕を下げてみたら、上手くハマりました」

-ヤクルト時代は5年間で3勝止まりも、その後、オリックスでは1996年に7勝19セーブの成績を残し、日本シリーズでも活躍されました。

転機になったことはあったのでしょうか?

「ヤクルト時代に秦真司さんからある助言をいただきました。

当時は、一軍と二軍を行ったり来たりする選手でしたが、『俺は一軍選手だ』と勘違いしていたところがありました。

そんな時に秦さんから『今、一生懸命にやっておかないと後から後悔するよ』って言われて。

そこで気づけて変わった部分はありましたね」

-鈴木さんはオリックス時代、イチロー選手と一緒にプレーしています。

イチロー選手の凄さはどこにあると思いますか?

「イチローの凄さは、当たり前のことを当たり前に毎日高いレベルで出来ること。

例えば、柔軟体操だったり、キャッチボールだったり、やっていることは基本的なことですが、それをやり続ける。

だから成功したんだと思います。

あとは、道具も大事にしていましたね。

試合が終わったあと必ずグローブとバットをトレーニングルームに持っていき、そこで手入れしていました。

そこは多くの野球少年にも見習ってほしいです」

■プロ野球選手から整体師へ

-鈴木さんは引退後、整体師となり、地元の静岡県磐田市で治療院を開業しました。

どのようなきっかけがあったのですか?

「プロでリリーフをやっていた時に、整体師の先生にお世話になっていました。

肩やヒジの状態が悪い時でもどうしても明日の試合に投げなければいけない時があり、そんな時に100パーセントは無理だけど、70パーセントまで回復させてくれたり。

本当に助けられました。

だから今度は同じことを地元の高校生にしてあげたいと思い、この職業に就きました」

-最後に高校球児にメッセージをお願いします。

「全国約4000校の中、甲子園で最後に勝てるのは1校だけ。

ほとんどの選手が悔しい思いを経験するでしょう。

でも、とにかく練習でも試合でもやり切ること。

やり切っていれば、その後の人生でも必ず生きると思います。

あとから後悔しないように、今出来ることを一生懸命に取り組んで下さい」

【プロフィール】

1970年静岡県生まれ。

東海大一(現東海大静岡翔洋)出身。

1987年ドラフト3位でヤクルトに入団。

1995年にオリックスに移籍し、1996年には抑え投手として日本一に貢献した。

引退後、整体師となり、現在は静岡県磐田市で「タイラ治療院」を営む。

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