【日大一 野球部】「連動」

春夏通算10度甲子園出場の名門。

秋につかんだ「自信」を春・夏へ

1960~1980年代にかけて春夏10度の甲子園出場を果たした名門・日大一。

秋大会で確かな手応えをつかんだチームは、伝統校復活をかけて春・夏の戦いへ挑む。

(取材・武山智史)

■ あの頃と同じ気持ちで

冷え込んだ天候の中、日大一の選手たちがウォーミングアップで体を動かす。

取材日は12月下旬の土曜日。

午前中に終業式を終えた野球部員は両国の校舎から千葉・船橋の日本大学敷地内にある野球部グラウンドへ移動。

正午から練習スタートとなった。

日大一といえば過去に春2回・夏8回の甲子園出場を誇る古豪。

センター112メートル、両翼104メートルの専用グラウンドは当時から変わらない。

同校OBの渡邉尚樹監督は「現役時代から、伝統というのか、一時代を築いた野球部という意識は常に持っていました」と語る。

時代は流れているが、選手たちはあの頃と同じ気持ちで野球と向き合っている。

■ 予選ブロック初戦がきっかけ

渡邉監督は現チームを「2年生を中心に根がまじめで、『頑張ろう』という意識が伝わってくるチーム」と評する。

特に試合になると集中力を発揮、どんな状況でもあきらめない粘り強さが特徴だ。

昨秋のブロック予選では初戦の府中西戦、前半にリードしながらも試合中盤で追いつかれてしまう。

このまま相手に流れが傾くかと思われたが、そこから反撃し9対7で競り勝った。

「あの一戦が選手たちの自信になったのかもしれません」と指揮官は言う。

続く筑波大駒場戦では12対2とコールド勝ちを収め都大会本戦に進出。

都大会では東東京の強豪の一角・修徳と対戦した。

試合は序盤から修徳ペースで進み4回途中で0対3。

ここで渡邉監督は先発佐藤和輝(1年=投手)からエース梅村隆誠(2年=投手)にスイッチ。

アンダースローの梅村は後続を打ち取ると5回裏を0点に封じ試合を落ち着かせる。

直後の6回表に1点を返すと、8回には4番・内田太陽(2年=内野手)の2点タイムリーで3対3の同点に追いついてみせた。

■ 秋は修徳に敗戦も確かな手応え

白熱した試合は延長戦に突入。

日大一は延長12回には1死満塁と絶好のチャンスを迎える。

しかし、3番・梅田嵩矢(1年=内野手)が併殺打に倒れ無得点。

その裏、サヨナラ打を許し3対4で敗れた。

延長12回表の攻撃の場面を、渡邉監督が振り返る。

「修徳さんの内野の守備体形はバックホームではなく、二遊間がちょっと深めに守ったゲッツー狙いでした。

『2点目は許さない』という意図だったと思います。

駆け引きの部分で相手が一枚上手だったかなと感じます。

ただ、『負けて悔しい』というよりも『やれるんだ』という自信が芽生えたと思います」。

敗れはしたものの、チームにとっては大きな手応えを感じる一戦だった。

■ 「上半身と下半身の連動」がテーマ

オフシーズンは個々のレベルアップに重きを置いて練習に励んでいる。

トレーニングのキーワードは「上半身と下半身の連動」だ。

下半身の力を上半身へ連動させる動作を意識したトレーニングを実施する。

練習中の風景を見ると、その一端を垣間見ることができる。

キャッチボールや打撃練習では選手が一つ一つ動作を確認しながら、アクションを起こす場面が見られた。

チームを率いる加藤駿主将(2年=外野手)は「体の使い方を意識することでプレーが変わってきた。

秋の敗戦を糧にして春はベスト16に入り、夏のシード権を取るのが目標」と春の戦いを見据える。

意欲的に練習へ取り組む選手たちは、「日大一」の名を東京に再び轟かせるべく、冬場のメニューに向き合っている。

チームは2014年夏に東東京大会5回戦へ進出したが、その後は3、4回戦で屈している。

選手たちは、心技体を連動させることで「壁」を越えていく。

その先に、復活の二文字がみえてくる。


日本大学第一高等学校

【学校紹介】
住 所:東京都墨田区横網1-5-2
創 立:1913年
甲子園:10回(春2回・夏8回)
1913年、日大初の付属校として開校。

野球部は1924年創部。

1969年から4年連続夏の東京都大会優勝など春夏計10度の甲子園出場を果たし「夏の一高」として一時代を築いた。

野球部OBには竹田光訓(明大-大洋)らプロ野球選手を輩出している。

おすすめの記事