【レジェンドインタビュー】「夢がすべての原動力になっていた」高木 豊(元横浜大洋ホエールズ)

高木 豊(元横浜大洋ホエールズ)

夢がすべての原動力になっていた

俊足巧打のキープレーヤーとして活躍した元横浜大洋ホエールズの高木豊氏。

「スーパーカートリオ」の一員として球界に強烈なインパクトを残したレジェンドが高校時代を振り返る。

2017年10月号掲載

■ 毎晩の日課は素振り

−高校時代の一番の思い出は?

一言で言うと甲子園という夢が叶わず、悔いが残っています。

高校野球の良いところは全員が一つの目標に向かって、純粋に戦えるというところですよね。

みんなで甲子園を目指していたにもかかわらず、その達成感を味わえないまま終わってしまったことが悔いとなっています。

−3年生の夏はどこまで進んだのでしょうか?

1回戦は不戦勝で、2回戦で負けてしまいました。

その相手である柳井商業(現柳井商工)が甲子園に行きました。

試合は最後のバッターが私で、ピッチャーゴロに打ち取られました。あのシーンははっきりと覚えています

−高校時代にやっていたことは?

家に帰ってから、バットを振ることです。

どんなに疲れていても『1本は振って寝よう』と決めていました。

とにかく毎日バットを振らないと眠れなかったんですよ。

帰りも遅かったですが、風呂に入って、部屋に上がって『もうダメだ、横になろう…』と思っても『いや、1本振らなきゃ!』と立ち上がってバットを振るんです

−どのくらい振っていましたか?

1本が2本、2本が3本、そのうち10本を超えて自分が納得するまで振り続けていました。

歯磨きや入浴と同じような感覚で習慣化していたのでやらないと気持ち悪いぐらいでした。

当時は祖母の家に住んでいたのですが、毎日バットを振るうちに、部屋の畳が擦り切れてきてしまいました。

怒られると思い、それをじゅうたんで隠しながらやっていました。

今思えばその畳を〝努力の証〟として残しておけば良かったですね(笑)

■ ろうそくで集中力アップ

−高校野球を続けた原動力は?

甲子園に出る、プロになるというような目標があったから続けられたと思います。

ツラいということはなく、『夢』がすべてのパワーになっていましたね

−当時のポジションは?

1年の時にはサードで入り、秋からはピッチャーです。

1年生の秋の県大会で優勝して中国大会に行きました。

1回戦は不戦勝。

次勝ったら中国大会のベスト4で春の選抜に行けたのですが、広島工業にノーヒットノーランで負けて春の甲子園行きを絶たれました。

名曲『岬めぐり』をBGMに、鳥取の会場から日本海の岬を巡りながら帰ったことを覚えています(笑)

−高校時代、技術的な面で一番意識していたことは?

スイングで一番気をつけたことは、前に突っ込まないことですね。

ステップしたときに重心の位置がズレないように部屋の畳にテープを張って確かめていました。

また集中力を高めるためにトレーニングもしました。

部屋を真っ暗にしてろうそくを立てました。

初めは炎がちょっとした風で揺れるけど、そのうちまっすぐになって煙が真上にスーッと上がります。

その瞬間にバットを振るんです。そのうち、ろうそくの炎が大きすぎると思って線香に変えたりもしました。

この練習法で集中力が高まったと思います

−プレースタイルはいつごろ固まったのでしょうか?

『足』を意識したのはプロに入ってからですね。

アマチュアの時はがむしゃらに野球をしていたので、プレースタイルはあまり考えていなかったですね。

いわゆる『走攻守3拍子揃った』タイプだったかもしれませんが、私はただサイン通りに動いていただけでした。

でもプロは違います。

プレースタイルとは、それで飯を食うということであり、専門職のようなところがあるんです。

私のプレースタイルが確立してきたのがプロ入り2年目です。

当時の関根潤三監督に『足を使え』と言われたのがターニングポイントとなりました

■ 3人の息子はサッカー選手

−3人のお子さんはみなさんサッカー選手になっていますね(長男・俊幸、次男・善朗、3男子・大輔)

野球も含めていろいろな選択肢を与えましたが、彼ら自身が得意な分野に進んだ結果です。

私は『子供を野球選手にしたい』という思いは全くなかったです。

比べられるでしょうしね。

もし彼らが野球を選んだら教えたでしょうけど、彼らの望んだ人生なので私は何とも思いません

−野球の道はなかったのでしょうか?

私も彼らが野球をする姿を見てきましたが、素質がないですね(笑)。

『野球をやったら苦しむだろうな』と思いました。

でも三男坊だけは野球やらせておけば、今頃プロでセカンドあたりを守ってたかな!

ボールの扱い方なんか私が見ても羨ましいぐらいの柔らかさを持っていたんですよ。

一度、『野球やってみないか?』と言ったことも実はあるんです。

でも兄二人がサッカーをやっているし、小3からヴェルディのジュニアでやっていて日本代表にも選ばれていましたから、もう戻ってこないなと。

センスは感じたんですけどね。

そこは非常にもったいないことをしました(笑)

−アスリートとして息子さんたちに伝えたことは?

『素直になれ、心を開け。そうしないと成長は止まるぞ』と言っています。

サッカーの技術的なことは、全くわかりません。

だから精神面でアドバイスをしてきましたね。

彼らは小さい頃からプロ選手になるという希望があったので、私もそれを意識して育てていました。

子どもは私の所有物ではなく、授かったもの。

彼らもそれぞれ人格を持っているので、それは尊重すべきだと思います。

私の役割は選択肢を広げてあげること。

そのためにいろんなところに連れて行きました。

野球、サッカー、水泳、ゴルフの打ちっぱなしにも行きましたね。

『親のエゴ』は子供にとって一番迷惑だと思うんです。最後は子どもの意思を尊重しました

−スポーツをどうとらえている?

社会は組織でできていますよね。

その組織に適応するために勉強します。

たとえれば、野球チームは1つの『教室』だと思います。

組織がしっかりしていないと勝てない、心のつながりがないと勝てない。

そんな勉強をする『教室』です。私は野球しかやってこなかったので野球が人生の先生です。

野球に限らず他のスポーツも行き着くところは同じで、どんな分野もたくさんのことを学んで成長する『教室』なのだと思います。

学ぶことをやめたら人生終わりです。

『人生すべてが勉強』と捉えていれば何に対しても意欲的になれるし、生きる原動力になると思います

【プロフィール】

1958年山口県生まれ。1980年、横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)入団。1985年には加藤博一、屋鋪要と共に俊足打者3人で結成した「スーパーカートリオ」で球界を席巻。引退後は同球団コーチ、タレントとして活躍。現在は野球解説者。

【高校時代の秘密】

・毎晩、畳で素振り
・ろうそくで集中力アップ

【高木家の子育て】

・子どもの人格を尊重する
・素直な気持ちが成功の条件

 

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