残り1カ月、最高の夏へ。
感謝の気持ちで全力勝負
岩倉は6月6日に選手全員が練習場に集まり、再始動のためのグラウンド整備を行った。
甲子園大会はなくなったが、球児、そして野球人としての戦いは続く。
2020年7月号掲載
(取材・伊藤寿学)
■ 昨秋の悔しさを糧に
秋のリベンジ。
それが岩倉のモチベーションだった。
昨秋都大会は1回戦で国立と対戦、6回までに2対8と大きくリードを許したが、終盤に猛攻を仕掛けていく。
8回に3点、9回に2点を奪って1点差としたが、追いつくことができず初戦で敗れる結果となった。
島崎陵馬主将(3年=外野手)は「秋は、自分たちの甘さが出てしまって悔しい結果になってしまった」と悔やむ。
チームは春の飛躍、そして夏の甲子園を見据えて、冬のトレーニングに入った。
■ チームは2月末に一旦解散
しかし、新型コロナウイルス感染拡大防止のため3月1日から学校が休校。
野球部はその前日の2月28日に選手寮を閉鎖し解散。活動休止となった。
豊田浩之監督は「この難しい時間こそ、選手、チームが試される」と選手に伝えていた。
その後、選抜、春季大会の中止が決定。さらに5月20日には甲子園大会の中止も決定した。
豊田監督は、選手たちに手紙を送り、状況を伝えるとともに、気落ちする選手たちに喝を入れたという。
死に物狂いでやってたか?甘えがあったのなら残りの1ヶ月必死にやろうじゃないか。
■ グラウンドに戻った選手たち
東京都高野連はいち早く代替大会の実施を表明し、開催へ向けて動き出した。
それは球児にとっての希望となった。
選手たちは、多くの方々の協力によって試合ができることに感謝しながら、学校再開となった6月にグラウンドへ戻ってきた。
当面は、週3回程度で1時間半限定の練習。
選手たちは、それまでいかに恵まれていたかを知った。
野球ができるのは当たり前ではない。
3年生たちは、残された時間を噛み締めながら、グラウンドへ向かう。
6月の再開初日には、新1年生も初めて合流した。
島崎は「甲子園がなくなったからこそ、僕らの背中をみせなければいけない」と、チームを率いる。
■ まだ終わりじゃない
チームは一丸となって代替大会へ向かう。
豊田監督は、代替大会は「引退試合」ではなく「真剣勝負」の場であることを伝えた。
そして、3年生には、背番号を奪い取るように叱咤激励したという。
豊田監督は「選手たちは、3月から夏季大会までに大きく成長するので、その時間を失ったことは本当に残念。
でも、まだ終わりじゃない。
代替大会がある限り、学生野球の聖地・神宮を目指す」と話す。
選手たちは、伝統という名のプライドを背負って、特別な夏へ向かう。
甲子園はなくなったが、東京の頂点を目指す戦いは続いていく。
岩倉高等学校
【学校紹介】
住 所:東京都台東区上野7-8-8
創 立:1897年
甲子園:2回(春1回・夏1回)
1897年に「鉄道学校」として開校。現在は普通科と運輸科の2科体制。幅広い視野と知識の習得を目指す学校へと変革を進めている。野球部は、1984年選抜初出場で初優勝。