【東海大菅生 野球部】「縦縞のプライド」

スラッガー杉崎、本格派左腕新倉が投打の要。

代替大会制覇へ完全燃焼

2017年夏の甲子園ベスト4進出以来、チーム力がありながらも甲子園にたどり着けなかった選手たち。

今年の選手たちの思いは強かったが、甲子園大会中止という無情の結果となった。

若武者たちは、菅生のプライドを背負って代替大会へ向かう。

2020年8月号掲載

■ 2017年夏を観て入学した選手たち

今年の東海大菅生は、2017年夏の甲子園ベスト4の結果を受けて、菅生の門を叩いた選手たちだ。

2018年秋、チームは都大会準優勝で選抜出場の期待が高まったが、無念にも吉報は届かなかった。

菅生史上最強とも言われたチームは2019年夏の西東京大会準決勝で国学院久我山に屈して、甲子園への夢が絶たれた。

甲子園に手が届きながらも涙を流した先輩たちの姿をみてきた今年の3年生たちの思いは特に強かった。

■ 投打のポテンシャルを秘めたチーム

昨秋都大会は3回戦で日大三に屈して選抜の道は消えたが、世代屈指のスラッガー杉崎成(3年=内野手)を軸にしたチームは大きなポテンシャルを秘めていた。

投手陣は昨夏を経験した新倉寛之(3年)、最速147キロの藤井翔(3年)らが出番を待った。

投手陣は、朝5時から走り込みを繰り返し、春・夏へ備えていたという。

左腕・新倉は「挑戦者の気持ちを忘れずに努力してきた。

投手力でチームを勝たせたい」と夏のマウンドを見据えた。

しかし、コロナ禍による練習停止とともに選手寮も閉鎖となり、チームは解散。

我慢の時間を迎えた。そして、甲子園大会は無情にも中止となった。

■ この先も野球人生は続いていく

6月の練習再開日、若林弘泰監督は「甲子園大会はなくなってしまったが、これは終わりではない。

ここであきらめるな。代替大会もあるし、この先も野球人生は続いていく。

やるか、やらないかでこれからの人生は変わっていく。

最後までやりきっていこう」と選手に語りかけたという。

玉置真虎主将(3年=内野手)は「代替大会は真剣勝負。こんな状況でもメンバーに入れない3年生もいるので、試合に出る選手は責任を持ってプレーしたいと思います」と完全燃焼を誓う。

代替大会は負けられない戦い。

甲子園は消えたが、西東京を制し、東西決戦で「勝どき」を上げるべく、選手は立ち上がる。

縦縞のユニフォームを着た若武者たちの「夏」が始まる。

東海大学菅生高等学校

【学校紹介】
住 所:東京都あきる野市菅生1817
創 立:1983年
甲子園:6回(春3回・夏3回)
野球部は96年夏に甲子園初出場。翌97年春には選抜初出場。2015年選抜、2017年夏甲子園出場(ベスト4)。OBのプロ野球選手には高橋優貴(巨人)ら。

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