横浜・村田浩明監督
「選手たちと、どこまでも向き合ってやっていきたい」
4月1日、横浜高校指揮官に村田浩明監督が就任した。
甲子園春夏通算34回出場、全国制覇5回の名門は、OB指揮官のもと新たなスタートを切った。
村田監督は「主役は選手。母校のために全力を尽くす」と、チーム再建を誓った。
母校での指導に励む、新指揮官に聞いた。
―母校を率いることになりました。就任会見を振り返ると?
私の高校時代を思い出すような気持ちでした。
18年前、期待を抱いて横浜高校の門を叩いた時の心境と同じです。
私自身が新たな環境でチャレンジしたいと思いました。
ドキドキ感、ワクワク感、不安など本当に同じ気持ちです。
―選手たちの様子は?
選手たちは、私の後輩でもあります。
彼らは、勇気を持って、横浜高に入学してきた選手たちなので、その思いを私自身が一番理解して、どこまでも向き合ってやっていきたいと思っています。
私自身も、渡辺元智監督(元横浜監督)にどこまでも面倒をみていただきましたので、同じように選手たちと接していきたいと思います。
―就任後、コロナ感染拡大によって練習ができなくなりました。
4月1日に就任しまして、緊急事態宣言が発動される最初の1週間だけ練習ができました。
最初でしたので、選手たちと少しでもコミュニケーションを取りたいと思いまして、選手寮に泊まっていました。
選手たちは僕のことを知りませんし、緊張しているのを感じましたので、まずはお互いを理解することが大切だと考えました。
いま振り返ると、あの1週間は非常に貴重でしたし、生徒たちに助けてもらったなあ、と感じています。
―今年の3年生は、多くの困難を経験してきました。
辛さを味わった分、精神的にも成長したと思いますし、たくましくなっていると思います。
就任のときは3年生をはじめ選手たちに『横浜高校に来て良かった、と思ってもらえるようなチームにしていく』と伝えました。
主役はあくまでも選手たちです。
―県立高校の教諭を辞任して、母校へ戻ってきました。
人生は1度しかありません。
白山高校の異動の時期で、私自身にとってすべてのタイミングが重なりましたので、運命だと感じました。
常に結果が求められる環境ですが、新たなチャレンジをしたいと思いました。
―5月20日に甲子園中止が決まりました。3年生にはどんな言葉をかけたのでしょうか?
ZOOM(ウェブ会議システム)などでコミュニケーションを図る方法もありましたが、私はその方法はあまり好きではありません。
当日に連絡はしましたが、まずはみんなに会って、直接、話がしたいと思いました。
6月6日に練習を再開しましたが、その場で、代替大会は3年生だけで戦うことを伝えました。
―練習再開からどのような気持ちで選手たちと接していますか?
まずは3年生、そして選手のために何ができるかしか考えませんでした。
3年生との時間は限られてしまっていますが、彼らにはさらに成長してほしいですし、最後は良い形に導いてあげたいと思っています。
選手たちは、『横浜高校で甲子園に行く』という強い気持ちで、ここに来ています。
今年は甲子園大会がありませんが、その思いに応えていかなければいけないと思います。
―伝統についてはどう考えていますか?
横浜高校野球部には1200人のOBがいます。
伝統を引き継ぐというよりも、先輩たちが築いてきた伝統を守っていかなければいけないという強い使命感があります。
そこは一番大事にしていきたいと思います。
時代は変わっていますが、令和になっても横浜高校の歴史と伝統は変わりません。
ただ、学校としても今年からは男女共学になるなど環境は変わっています。
伝統を大切にしながら、横浜高校の新たな歴史の1ページを、選手たちと共につくっていきたいと考えています。
【監督プロフィール】
1986年生まれ。
神奈川県出身。
横浜高-日体大。
正捕手として高校2年時は成瀬善久(元ロッテ他)、3年時は涌井秀章(楽天)のボールを受け、大学時代は母校・横浜で学生コーチ、筒香嘉智(レイズ)の打撃投手も務めた。
大学卒業後、霧が丘で野球部長を務めた後、13年秋から白山の野球部監督に就任。
2020年4月から横浜監督。