2002年夏甲子園出場の伝統校
2002年夏に甲子園出場を果たした実績を持つ伝統校・桐生市商。
地域の期待を背負うチームは、今年4月から指揮を執る高橋正志監督のもと新たな戦いに乗り出している。
■ 球都・桐生で確かな実績
織物の街として栄えた桐生市は野球が盛んな地域で、高校野球ファンの間では「球都」と呼ばれている。
桐生市には、戦前戦後に栄華を放った桐生高をはじめ、1999年に全国制覇を成し遂げた桐生第一など実勢のあるチームがしのぎを削る。
市内7校のうち5校が甲子園出場歴を持つなど野球熱の極めて高い地域で、存在感をみせているのが桐生市商だ。
投打にアグレッシブな戦いで数々の名勝負を演じると2002年には悲願の甲子園初出場。
2006年春、2007年秋優勝、2012年夏準優勝などトーナメント上位に顔を出す。
地域の選手を中心に構成する公立校ながら私学と真っ向勝負する志は、野球通をうならせる。
2016年夏にもベスト8へ進出したが最近3年間は私学優勢、地域の野球人口減少などにより3回戦の壁を破れていない。
■ 桐生市商の新しい伝統
桐生市商は前任の武藤賢治前監督の異動に伴い、今春から高橋正志監督が指揮を執る。
桐生第一出身で高校卒業後に母校のコーチに就任、名将・福田治男監督(現利根商監督)の参謀として計8度甲子園出場に貢献、1999年には群馬県勢として初の全国制覇を経験した。
その後、母校を離れて日大で教職資格を修得、教員として故郷へ戻り、2011年から桐生市商コーチ、部長を歴任、この春から監督としてチームを率いている。
高橋監督は「福田監督から学んだ野球を土台に、桐生市商の新しい伝統を作っていきたい」とグラウンドに立つ。
現在の部員は2年生9人、1年生11人の計20人(加えて女子マネージャー5人)。
かつては1学年30人ほどの選手がいたこともあったが、時代は変わっている。
指揮官は「何もしなくても選手が集まってくる時代ではない。
さらに魅力あるチームを作っていかなければいけないと思う」と、チーム作りに励む。
■ 野球を通じた人間形成
高橋監督は責任ある立場となった今、指導について深く考えるようになったという。
「私自身、コーチ時代は『勝利至上主義』ではないが勝つために必死でやってきた。
ただ、その一方で人間形成の面でしっかりと選手を育てられているかを、より問うようになった」。
高橋監督は、選手たちに球児としての規律、覚悟を求めながら、高校野球以外の“世界”を伝えている。
選手たちとともにプロ野球、東都大学リーグなどを観戦。
この夏は、海水浴やハイキングなど生徒たちを自然の中で解放した。
宮澤寛人(2年=捕手)は「海や山など野球以外のところに連れていってもらって、コミュニケーションやチーム力の大切さを教えてもらっている」と話す。
選手たちはグラウンドで必死にボールを追った上で、人としての成長を目指す。
その先に、結果がついてくる。
■ チームに秘めたポテンシャル
高橋監督の夏初陣は、1回戦で勢多農、2回戦で桐生を撃破し3回戦へ進出。
3回戦では奇しくも、恩師・福田監督率いる利根商と対戦し3対4で敗れた。
高橋監督は「縦縞(桐生第一)ではなく、別々の公立校のユニフォームを着て対戦できたことは感慨深かった。
勝てなかったのは私の力不足。
まだまだやらなければいけないということを教えてもらいました」と振り返る。
夏大会後、チームは古泉雄斗主将(2年=内野手)を軸に新たなスタートを切った。
宮澤、石田岳(2年=内野手)ら個性あふれる選手たちが揃い、大きなポテンシャルを秘める。
高橋監督は、金井康恭部長らコーチ陣とともに選手の可能性を引き出しながらチーム作りに専念する。
秋大会は初戦で市立太田に延長戦で屈したが、選手たちはその悔しさを糧に、来春、そして来夏の飛躍を誓う。
球都のプライドを宿したチームは、2度目の甲子園出場を果たすために、次なる一歩を踏み出している。
チャンスに強い絶対的主砲
石田 岳(2年=一塁手)※写真左
強肩強打の5番打者
宮澤寛人(2年=捕手)※写真中
俊足巧打のリードオフマン
古泉雄斗(2年=遊撃手)※写真右
桐生市立商業高等学校
【学校紹介】
住 所:群馬県桐生市清瀬町6-1
創 立:1940年
甲子園:夏1回
昭和15年創立の伝統商業高。
2002年に夏甲子園出場。
野球部OBに井野口祐介(独立リーグ群馬)、田面功二郎(元阪神)。