2025年夏 西東京制覇 日大三 三木有造監督インタビュー 「良い試合をして、寮に帰ってスイカを食べよう!」
日大三 三木有造監督

日大三 三木有造監督

自然体でつかんだ自身2度目の甲子園出場

選手に寄り添い、大舞台で前向きなアドバイス

 

日大三が今夏の西東京大会を制して2年ぶり20回目の甲子園出場を果たした。2023年4月から指揮を執る三木有造監督は同年夏に続いて自身2回目、そして2年ぶりの甲子園切符をつかんだ。激戦区・西東京の頂点に立った指揮官の指導法を読み解く。

 

一般的に監督は、ベンチの内側(ホーム側)に立ち、采配を執ることが多い。三木監督は西東京大会準決勝ではベンチの真ん中、決勝ではベンチ三塁側端で前屈みになり、選手たちと接した。
「選手たちから『ホーム側だとサインが見づらい』と言うので、準決勝はベンチの真ん中、決勝は三塁側の位置にしました。(相手がサインをすぐに見られる?)それよりも選手がプレーしやすいようにすることが自分の役割です」−− 指揮官は、ベンチサイドでメガホンを持ち、攻守の場面で声を張り上げていた。選手に“近い場所”から声を送る。その声がチームを頂点に導いたと言える。 
参謀として長きにわたり、小倉全由前監督を支えて2023年3月の勇退(定年=現U18日本代表監督)に伴い、指揮を任された。
「小倉とふたりで指導していたときから母校を率いているつもりで生徒たちと向き合っていたので、監督という肩書きになっても気持ちは変わりません。できることを愚直に繰り返していくだけだと思っています」 
就任当初、生徒たちは「三木監督」と呼んだが本人が「三木さん」のままを希望。コーチ時代同様に“良き兄貴”として選手たちに接している。  
小倉前監督は「練習は嘘をつかない」を指導指針としたが、三木監督はその言葉を継承した上で「ガッツ 気合 根性」を生徒たちに伝えている。
「令和という時代に合っているかどうかは分かりませんが、勝負は気持ちの部分が大切だと考えています。難局にぶつかったときに、まずはなんとかしてやろうという気持ちがなければ、立ち向かうことはできません。『ガッツ 気合 根性』の上に、技術や理論があると考えています」
 昨夏は決勝で早稲田実に9対10で屈した。相手投手陣から9点を奪い、終盤までリードしたが9回裏でサヨナラ負けとなった。
「9点も取ったのに負けてしまうのは、私の責任。勝ちたいという気持ちが先行してしまって、選手たちのすべての力を発揮させてあげることができなかったのかなと思います」
 新チームの昨秋は準々決勝で二松学舎大附に1対8の7回コールド負け。3月上旬のセンバツ出場校との練習試合では大敗を喫した。
「あの時から考えると大きく成長してくれました。ここまでやれると思いませんでしたが、やれるように練習はしてきたつもりです。理屈抜きに、選手たちが気持ちでついてきてくれました」
 今夏の決勝・東海大菅生戦では相手エース上原慎之輔攻略が鍵となった。大会随一の投手陣から得点を奪い、強力打線を抑えるか。
「上原くんはストライクゾーン周辺にストレートと変化球を投げ分けてくるタイプ。低めのスライダーの精度が高い投手なのですが、インコースを攻めてきていたのでストレートを張っていこうと伝えました。選手たちが勝負所で食らいついてくれたと思います。うちのエース近藤は、失点しながらもタフに投げてくれました。気持ちの強い選手なので、次の投手を考えるよりも行けるところまで行こうと考えていました」
  日大三は3点を先制しながらも5回表までに4失点して逆転を許す展開。しかし、再逆転すると8対4で勝ち切った。指揮官は、選手たちの手によって神宮球場の宙に舞った。
「今年はすごく“まとまり”があるチームで、一人ひとりが勝利のためにプレーしてくれていました。一緒に練習をしていて本当に気持ちの良い選手たちの集まりでした。やっぱり最後は気持ちの部分。神宮のマウンドや打席で、投げ方や打ち方を伝えても仕方がない。思い切り腕を振って、バットを振り抜く覚悟が求められます。日頃の指導が結果につながったかどうかは分かりませんが“戦う集団”になってくれたと思います」
 今大会、監督として新たな発見があったという。昨夏の準決勝、決勝は不安からストレスが発生し、眠れない日もあったというが、今夏はそれが消えたという。
「準決勝の八王子戦、決勝の東海大菅生戦は、負の感情がまったくなくて、ずっと『絶対に行ける』と思っていました。そう考えると、去年は自分の未熟さによって選手にプレッシャーを与えて追い込んでしまったのかなと感じます。今年は、私自身の肩の力が抜けて『自信を持って行ってこい』と言葉を掛けられました。エラーをしたとしても『次のプレーで挽回して自分の人生を切り開いてこい!』と前向きに送り出すことができました。みんなで良い試合をして、寮に帰って、冷えたスイカを食べようって言ったことが優勝につながったのかもしれません」
監督就任3年目で2度目の甲子園。自然体でつかんだ栄冠だった。
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