【平塚江南 野球部】「咲」

難病を患った仲間のために。

夏に大きな花を「咲」かせる

好投手を擁して2016年にベスト16進出を果たすなど、近年は平塚の公立校として健闘が目立つ平塚江南。

新チームが始動したばかりの昨秋、ナインに衝撃が走った。

2020年7月号掲載
(取材・大久保泰伸)

■ 予期せぬ病の発覚

秋大会直前の8月だった。

キャプテンとしてチームを牽引する存在だった井上颯太(3年)の体に、異変が起きた。

本人が当時を振り返る。

「ずっと疲れやすくて、夏バテかなという感覚だった。それが秋の大会直前の練習試合でボールがヒザに当たって、ひどいアザになった。最初は打撲と言われたんですけど、これはちょっと違うなと…。競泳の池江璃花子さんと全く同じ病気でした」。

病名は急性リンパ性白血病。

即座に入院し、抗がん剤治療に入った。

「足が痛くて動けず、ずっとベッドの上での生活だった」。

食欲も減退し、体重は15キロ減った。

それでも「足の痛みが引いた次の日ぐらいからリハビリを始めた。

元気な時はできるだけ動いて、少しでも体力が戻るようにした」。

必死に前を向いた。

■ 「あいつの分までやってやろう」

思いも寄らない出来事。

チームメイトたちが受けたショックも相当なものだった。

部長の高橋宥大(3年)は、電話で知らせを受けたとき「絶句した」と振り返る。

「新チームになって、これからという時だったので…。

井上は人間ができているし、みんなからもすごく信頼されていた」。

前年に教師になったばかりの鈴木健太監督も、病に倒れた主将の体を気遣うとともに「前チームから唯一、ベンチ入りしていたのが井上。新チームでは1番・サードで、誰よりも声を出す選手でした。周りのみんなを引っ張る存在。間違いなく彼がチームの中心でした」と語る。

沈痛。

しかし、逃げることなく病に真っ向から立ち向かう井上の姿に、全員が奮い立った。

エースの村松拓馬(3年)も、その一人。

「井上が病気と闘っている姿を見て、自分が情けなくなったし、悔しい思いもした。そこから頑張ろうという気持ちになった」。

代役主将の高橋は、「井上がいなくなってから、練習の雰囲気が目に見えるぐらい変わった。あいつの分までやってやろうという意識がみんなに芽生えて、一人ひとりが大きく変わってきた」とチーム全体の変化を強く感じた。

■ スローガンのもとに


迎えた秋大会。

予選ブロックを2試合連続コールド勝ち。

県大会初戦の相手は、前チームが0対10と大敗した私立の強豪・星槎国際湘南。

闘病中の井上はその頃、治療と一時退院を繰り返す日々を続けていたが、体調に問題がない時は練習にも顔を出し、この試合をスタンドから観戦することができた。

思いはひとつ。

「星槎に勝てば、また井上が試合を観にきてくれる」。

チーム一丸で「本当に気合が入った。1球1球、みんな集中してやっていた」と高橋。

しかし、相手の壁は高く、8回を終えて0対6と敗色濃厚。

それでも最終回の攻撃前、鈴木監督が選手たちに「せめて相手のエースを降板させよう!」とゲキを飛ばすと、4番の屋大海(3年)の二塁打で2点を返し、相手投手をマウンド上から引きずり下ろした。

「結果は2対6だったが最後に反撃することができて、みんな成長できた試合だった」と鈴木監督は目を細める。

今年のチームには井上が考えたスローガンがある。

「咲」という一文字には井上の、そしてチームの願いがこもっている。

「このチームで花を咲かせたい。自分たちの中に持っている花を、夏にどんな形でもあろうと咲かせて終わりたい」と高橋。

鈴木監督は「試合で結果を出して咲くことも当然だが、自分の弱いところを乗り越えて、人間的に咲いて大人になって欲しい」と選手たちのさらなる成長に期待する。

仲間の支えを受ける井上は「チームのみんなが支えになってくれている。みんなと野球をやっているとすごく楽しいし、このチームに入って良かったと思う」と笑顔をみせる。

ここで出会った素晴らしい仲間のために…。

仲間たちと歩んだ日々は消えない。

平塚江南の選手たちが、この先に人生で大きな花を咲かせることを願いたい。

平塚江南高等学校

【学校紹介】
住 所:神奈川県平塚市諏訪町5-1
創 立:1921年
甲子園:なし
1921年の創立から旧制県立平塚高等女学校時代を経て、1950年に男女共学の県立平塚江南高等学校になり、現在に至る。硬式野球部は16年には夏の県大会ベスト16に進出するなど、近年は春秋県大会の常連校となっている。

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