2003年夏に初甲子園出場
赤い旋風でもう一度“革命”を
2003年夏の東東京大会で優勝し甲子園初出場を果たした雪谷。赤いユニフォームに袖を通す選手たちは、赤い旋風を再び起こすため一球に魂を込める。
■最速143キロのエクスプレス
2003年夏に東東京大会を制して初の甲子園出場を決めた雪谷。赤いユニフォームの選手たちの快進撃は、「赤い旋風」と呼ばれた。あれから18年、雪谷がにわかに注目を集めている。プロ野球スカウトが熱視線を送るのは、最速143キロのストレートと多彩な変化球を操るエース右腕・渡邊顕人(3年)だ。高い身体能力を持つ都立のエクスプレスは、雪谷復活を懸けてマウンドに立つ。元プロ野球選手の指揮官・伊達昌司監督は「身体能力が高く、手先が起用。プロを目指せる素材だ」と潜在能力に太鼓判を押す。雪谷は、エース渡邊のほか個性的な選手が揃い、士気が高まる。秋季大会、春季大会はいずれも私学強豪に行く手を阻まれたが、夏のトーナメントのダークホースになる可能性を秘めている。
■元プロ野球指揮官の挑戦
チームを率いるのは、投手としてプロ野球キャリアを持つ伊達監督。法政大から社会人プリンスホテルへ進み、2000年のドラフト会議で阪神から2位指名。リリーフ投手として阪神、日本ハム、巨人でプレーしたキャリアを持つ。現役引退後は教員免許を修得し、都立高教員へ。「都立の選手たちと一緒に野球がしたいと思った」(伊達監督)。江戸川、府中西で顧問コーチを務めたあとの2019年に雪谷へ着任。2021年春から監督になった。元小岩指揮官の西悠介部長らと共にチーム強化に励む。練習は、生徒主導。監督、コーチ陣はサポート役として選手たちに寄り添う。選手たちは、コロナ禍の限られた時間を自分たちでマネジメントし、雪谷スタイルを構築していく。指揮官は「コロナ禍のいまは部活動の変革期。生徒主体の野球で、都立の野球に革命を起こしたい」と選手を見守る。
■赤い旋風で革命を
秋季大会は予選で八王子と対戦し善戦したが、4対10で敗れた。予選を突破して迎えた春季大会では、東亜学園と対戦してリードしたものの終盤に耐えきれずに8対13で屈した。選手たちは秋・春の課題に日々のトレーニングで向き合い、夏への成長曲線を描いている。野手の軸は、都立屈指のショートストップ長谷川大和(3年=遊撃手)と、俊足巧打のセンター田口力毅(3年)。勝負強い打撃をみせるふたりがチームを牽引。投手陣は、エース右腕・渡邊のほか、身長186センチの2年生右腕・御園拓摩(2年)が控える。エースだけのチームでない点が魅力だ。チームスローガンは「力戦奮闘〜野球界に革命を〜」。チームをまとめる石原悠聖主将(3年=捕手)は「一戦一戦を力強く勝ち上がって甲子園を目指す」と夏へギアを上げる。赤い軍団の行進は、甲子園へと続いていく。