機動力野球で未知なる場所へ。
走力でプレッシャーを掛け、終盤に“仕留める”
2020年の藤沢翔陵は、機動力を前面に出した攻撃的野球を展開する。
新スローガン「激走翔破」のもと、チーム一丸となって次の塁へ突っ走る。
(取材・伊藤寿学)
■ 自慢の「足」で勝負するチーム
藤沢翔陵は、自慢の「足」で勝負する。
今年のチームは昨季と比較すればやや小粒だが、1番から9番まで果敢に次の塁を狙える走力がある。
元プロ選手の川俣浩明監督(ロッテ、阪神)は「送りバント」に頼らない攻撃スタイルを貫く。
毎年、積極的な攻撃がチームの武器だが、今年のチームは「打力」に、「走力」を組み込んだ攻撃を目指す。
川俣監督は「足が速い選手はもちろん、スピードがない選手でも隙を見つけて走る『賢さ』がある」と評する。
機動力に絶対的な自信を持つ選手たちは、チームスローガンを「激走翔破」に決めた。
選手は自分たちの決めた道を信じて戦っていく。
松原彪之介(2年)、中村翔(2年)、篠幹太(2年)=外野手
■ 春・夏への大きな手応え
いまの2年生で、昨夏のレギュラーは外﨑貴大(2年=内野手)ただ一人。
昨秋の新チーム誕生時、川俣監督は試行錯誤を続けた。
始動当初は基本練習を積み重ねたものの不安は払拭されなかった。
しかし、練習試合を重ねて地区予選に入ると、選手は見違えるような戦いをみせた。
相手を圧倒する強さがあるわけではないが、どんな相手にも必死に食らいつき、終盤で仕留める「勝負強さ」を備えていた。
秋県大会では、2回戦で武相を6対5で下すと、3回戦では星槎国際湘南を5対4で撃破してみせた。
4回戦では、横浜商大に5対6で敗れたものの、6回までに0対5とリードされた中で反撃をみせてあと一歩で逆転まで持ち込んだ。
外﨑貴大(2年=内野手)は「勝つことはできなかったが、粘り強く戦うことができた」と春・夏への手応えを感じている。
鈴木大士郎(1年)、外崎貴大(2年)、松尾悠平(2年)、和田大武(2年)、吉田俊太(2年)= 内野手
■ 「1」を追求し、勝てるチームへ
チームは秋大会以降、レギュラーを白紙に戻して全体的な底上げを図っている。
チームの軸となるのは堅実なプレーとキャプテンシーを備える松尾悠平主将(2年)。
そして、攻守の要・外﨑、エース中里輝成(2年)が存在感を示す。
小柄だがパンチ力を秘める篠幹太(2年=外野手)がムードメーカー役を務めている。
冬トレーニングでフィジカル強化とスピードアップを図ったチームは、目指すスタイルを体現すべく鍛錬を続ける。
松尾主将は「足を絡めた攻撃で積極的に次の塁を狙う。
秋大会・横浜商大戦は、あと1本が出ずに1点差で負けたので、1プレーを追求していく。
そしてチームとして、一つになって戦っていく」と話す。
「1」を追求する藤沢翔陵は、新たな スローガン「激走翔破」を前面に出して頂点へと翔け上がる。
中塚莉己(2年=捕手)、中里輝成(2年=投手)
【監督プロフィール】川俣浩明監督
1972年生まれ神奈川県出身。
藤沢商(現藤沢翔陵)、大阪ガスで投手として活躍し、96年のドラフト3位で千葉ロッテに入団。
その後阪神に移籍した。
2002年に引退後は神奈川大学夜間部で教員免許を取得し、09年に藤沢翔陵の監督に就任した。
藤沢翔陵高等学校
【学校紹介】
住 所:神奈川県藤沢市善行7-1-3
創 立:1931年
甲子園:夏1回
昭和6年に発足した藤沢商業学校(旧制)が前身。
1998年に校名を藤沢翔陵高校に改称。
伝統的にスポーツや資格取得が盛んで、バレーボール部は春高バレーで5度優勝。
野球部は1973年夏に甲子園出場。