「青木久雄監督を偲ぶ会」

二松学舎大附・日大三元監督「青木久雄監督を偲ぶ会」

高校野球の名門・二松学舎大附と日大三で監督を務めた青木久雄さん(享年82)のお別れ会「青木久雄監督を偲ぶ会」が8月27日、二松学舎大学構内でしめやかに営まれた。祭壇には、二松学舎大附と日大三のユニフォームが飾られ、両校OB会や高校野球関係者など約300人が参列、甲子園出場などの功績を振り返りながら別れを惜しんだ。 名門二校で甲子園出場、育成功労賞受賞

青木さんは今年6月に逝去。葬儀は親族らで行われたというが、元監督の教え子を中心とした両校学校関係者やOB会が「偲ぶ会」を企画した。  青木さんは日大三出身。日大三で監督を務めたあとに、二松学舎大附を指揮。その後、再び日大三監督を任された。二松学舎大附就任当初は、学校名も知られていない中でゼロからのスタート。たゆまぬ指導の成果によって1982年の選抜大会では二松学舎大附を準優勝に導くなど名門へと押し上げた。両校監督として甲子園に5度出場した功績や人材育成への貢献などが評価され、2015年に育成功労賞を受賞した。  「偲ぶ会」には、前田三夫・帝京前監督、小倉全由・日大三前監督、市原勝人・二松学舎大附監督、三木有造・日大三監督が参列し、お別れの言葉を贈った。市原監督は「青木監督と一緒に甲子園に置いてきた忘れ物(優勝)を取りにいきたいと思っています。青木監督の財産を守り、次世代へつなげていきたいと思います」と悼んだ。

 

前田三夫・帝京前監督

「私は昭和47年に帝京監督に就任しましたが、青木さんから『前田、大変だな。頑張れよ。頑張れば、いつか良いことがあるよ』という言葉をいただきました。その言葉から勇気をもらい、長く監督を務めることができました。私は2年前に帝京監督を退任しましたが、辞める直前までチームのことを気にかけていただきました。ありがとうございました」

 

小倉全由・日大三前監督

「青木先生、青木監督、日大三で今年3月まで監督を任されておりました小倉です。青木監督は、自分の憧れであり、目標でした。私が日大三での監督1年目の秋に青木監督率いる二松学舎大附と対戦させていただきましたが、0対1で負けたことが思い出されます。生徒をみる優しい眼差しは決して忘れることはできません」

市原勝人・二松学舎大附監督

「私が高校3年生とき最後の夏で負けた翌日にグラウンドへ出ると青木監督が声をかけてくれました。私は『次のステージで頑張ります』と言うと、『そうか、頑張れ』と優しく笑ってくれました。あの笑顔を忘れることができません。監督さんが手塩にかけて育てた二松学舎大附の野球をいま引き継がせてもらっています。監督さんが残してくれた財産を守っていきたいと思います」

三木有造・日大三監督 「今年4月に、小倉前監督から受け継いで日大三を任せてもらいましたが、あらためて監督の難しさを感じています。監督という立場になって、青木先生の言葉を思い出すことが多くなりました。青木先生が残してくれた歴史・伝統を引き継ぎながら、さらに精進していきたいと思っております。青木先生、長い間、お疲れさまでした。これからも見守ってください」

 

 

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