2002年夏に甲子園に出場した強豪。
2度目の聖地を目指してチーム改革
旧校名の興誠時代、2002年夏に甲子園に出場した実績を持つ浜松学院。
元プロ野球選手を監督に迎えて、チーム改革に取り組んでいる。
(取材・栗山司)
■ アップをなくして時短に取り組む
練習開始時間にグラウンドに着くと、すでに選手たちはバットを振り込んでいた。
「ウチはアップをやらずに、すぐに練習に入っているんです」。
そう教えてくれたのが浜松学院の吉田道監督だ。
以前は30分ほどアップの時間を取っていたそうだが、「本当に必要なのか?」と疑問を抱き、最近になって省くようになったという。
今のテーマは「時短」。
吉田監督は「昔だったら考えられないですけど」と笑う。
「結果的にアップをなくしても影響はなかった。
それよりも、野球の練習の中でアップの変わりになることはたくさんあるので、それで十分だと思った」。
浜松学院は旧校名の興誠時代、2002年夏に甲子園に出場した実績を持つ。
初戦で日章学園(宮崎)と対戦し、22安打を浴びながらも、9対8で勝利した。
あの激闘から18年。
2度目の聖地を目指し、チームを改革するのが吉田監督だ。
高校時代は東海大相模のエースとして1992年選抜で準優勝。
その後、ドラフト2位で近鉄に入団した。
現役引退後、中学生の指導などを経て、2012年秋より監督を務める。
吉田監督は就任してから投手を中心とした守備力を重視。
失点を減らし、粘り強いチームを作り上げている。
■ 苦しい時こそ力を発揮できるように
現チームは昨秋の西部大会で敗戦。
県大会出場を逃した。
廣川希成主将(2年=内野手)は技術云々よりも、精神面に弱さがあったと振り返る。
「チームが負けていると、どうしても士気が下がってしまいました。
そういう苦しい時に、いかに頑張ることができるか。
そこが自分たちの課題です」。
以前に比べると、短時間になった練習の中で、いかに追い込むことができるのか。
取材日は、選手17人が5つのグループに分かれて練習を行った。
エルゴメーターを使ったトレーニングでは5回のタイムを測り、「最後の5回目に一番いい数字を出そう」と歯を食いしばる姿があった。
指揮官は「疲れている時、辛い時、嫌な時にどれだけ頑張れるか。
それが最後の夏につながるんだ」と選手を鼓舞する。
■ 投手は毎年5人程度用意する
浜松学院はポジションや打順が固定されていないのが特徴だ。
ポジションに関しては1人で2ポジション、または3ポジションをこなせるように練習。
そこには吉田監督ならでは考えがある。
「ベンチ入り20人で、一つのポジションしか守れないと20人の力しかならない。
でも、3つできたら60人の力になる」。
投手に関しても、一人のエースに頼ることはしない。
毎年、5人程度を用意し、本人の状態や相手打線との兼ね合いで起用を決めている。
「私の経験からピッチャーは1年間で絶好調で投げられる試合は2試合か3試合。
だったら、一人に固執するのではなく、コンディションのいいピッチャーを使った方が勝てる確率は高くなると思う」。
吉田監督は「適材適所が大事」と、選手が一番輝ける場所を探していく。
昨年11月の浜松市内大会(16校参加)はベスト4に進出。
心技体が確実に成長してきた。
チーム全員が「最後に勝ち切れるチームになる」と気持ちを高め、18年ぶりの甲子園に向かって突き進む。
【スローガン】「一戦必勝」
昨秋の新チーム結成時、選手たちが作ったスローガン。
「公式戦でも練習試合でも、その1試合にこだわっていきたい」(廣川主将)
浜松学院高等学校
【学校紹介】
住 所:静岡県浜松市中区高林1-17-2
創 立:1933年
甲子園:夏1回
1933年に興誠商業として開校。
その後、校名変更を経て、2011年に浜松学院となる。
野球部は1946年に創部。
興誠時代の2002年に甲子園出場。
野球部OBには小田智之(現日本ハムファーム打撃コーチ)、タレントの野久保直樹がいる。