2019年夏、高崎商大附が健大高崎から勝利を挙げた。
底力を発揮したチームは、一進一退の乱打戦を制して勝どきを上げた。
■ 狙うは初戦、勝負は抽選会から!
群馬から甲子園へ行くには、前橋育英、健大高崎を倒さなければ道は拓けない。
大会抽選、丹羽壮一コーチは、渡辺賢監督にこう助言したという。
「どこかで倒さなければいけないのなら、相手の“初戦”が狙い目。そこを狙っていくべきだ」。
勝負は抽選会から始まっていた。
受け身ではなく、自分たちからぶつかっていく。チームの総意を受けた主将・乾翔悟(3年)は見事に健大高崎の“初戦”を引き当てた。
「よっしゃー!」。
沸き上がるチームの雰囲気を見て、指揮官は手応えを感じていた。
■ 大会前の野球合宿で一致団結
2019年夏のチームは、1年生大会で準優勝した“黄金世代”だった。
しかし、大型右腕・遠藤浩斗(3年)をはじめ選手たちは伸び悩んでいた。
チームが変わったのは抽選後の6月下旬と、健大高崎戦前の7月中旬に実施した2度の強化合宿だった。
練習場近くの研修所で2泊3日と1泊2日の日程で開催、共同生活を送りながら野球漬けになることでチームの団結を促した。時を同じくして、遠藤も復調を遂げていた。
齋藤力也部長は「合宿中の生徒の生活態度が素晴らしかった。このチームであれば、健大高崎としっかりと戦えると確信した」と振り返る。
■ 運命のバスミーティング
高崎商大附は、試合へ向かうバスでミーティングを行っている。
健大高崎戦当日、練習場から高崎城南球場へ向かう約15分間で、選手たちが試合でやるべきことを宣言した。
「次の打者へつなぐ」「アウトを確実に取る」。
各選手がそれぞれの役割を理解し、実践することが勝利へのルート。
選手たちはバスミーティングで士気を高めて球場にやってきた。
小林竜也(2年=内野手)は「ミーティングによって緊張が解けて自分のやるべきことが整理できた」と効果を話した。それが奇跡の始まりだった。
■ 早めの投手交代で大勝負
ゲームのポイントは、1対3の劣勢で迎えた3回だった。
先発・堀野嵐(3年)のボールが相手打者のタイミングに合っていると感じた渡辺監督が、齋藤部長に確認すると、参謀も同じ意見だった。
ゲームプランはロースコア、堀野、遠藤のダブルエースを均等に使って抑えたかったが、迷っている間はなかった。
指揮官は、3回から遠藤を送り込み、総力戦を仕掛けた。
ゲームは想定に反して、撃ち合いの乱打戦となっていった。
■ 選手の臨機応変な対応
白熱の攻防戦は5回を終えて6対7。勝負は6回無死1・2塁、浅香吏良(2年=外野手)の打席だった。
指揮官はバスターのサインを出したが、浅香が相手の守備の動きをみて、土壇場で回避。渡辺監督は「打席に立ったら選手の判断がすべて。
次のボールで『打て!』の指示を送った」と打ち明ける。
浅香は次のボールを見事に弾き返して、2人の走者を返すタイムリー二塁打。
その回にもう1点を加えたチームは9対7で最終回を迎えた。
■ 悲願の初甲子園への扉
高崎商大附の遠藤は、最後までランナーを背負う展開となった。
だが、決して弱気にならなかった。
遠藤の武器は、大きく落ちるフォークだが、リスクが生じる。
それでも、バッテリーは強気に攻めていった。
渡辺監督は「ああいう場面で攻めの投球を選択した選手たちに感謝したい」と目を細めた。
遠藤は、最後の打者を三振に仕留めて、渾身のガッツポーズ。
それは一丸となってつかんだ価値ある勝利だった。
渡辺監督就任15年目、チームはいま大きな成長曲線を描く。
この金星が、悲願の初甲子園への扉となる。
高崎商科大学付属高校
【学校紹介】
住 所:群馬県高崎市大橋町237-1
創 立:1906年
甲子園:なし
創立当時は女子校だったが、2002年に共学化。それに伴い、2004年に硬式野球部が誕生した。女子バレー、女子フェンシングの強豪校。